東京大学千葉演習林 - 東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林

千葉演習林のここがすごい!

地質学と千葉演習林

房総半島南部に位置する千葉演習林周辺は、地層の観察調査にとって非常に良好な条件が揃っています。このため、千葉演習林を利用して地質調査の基礎を学ぶ泊まり込みの大学実習等が毎年多数行われています。

東京大学理学部・大学院理学系研究科で1981年9月から2019年3月まで教鞭を執られた多田隆治名誉教授に、地質学にとっての千葉演習林と周辺地域(清澄山エリア)の意義をご紹介いただくとともに、地質調査実習の思い出を記していただきました。


千葉演習林での地質調査実習の思い出

多田隆治

地質調査法実習との出会い


私が理学部地学科地質学鉱物学課程に進学したのは1974年(昭和49年)、今から45年も前の事でした。当時の地質学鉱物学課程では、進学した年(3年次)※1の6月に千葉演習林内で約1週間の野外調査実習(地質調査法実習)がありました。当時の学生達の間では「魔の清澄山」と呼ばれ、一体どのような実習が行われるのか、2分の期待と8分の不安で実習へ向かったことを今でも覚えています。実習は、七里川や池之沢沿いの露頭※2を川の水に時には膝まで浸かりながら調査するというもので、毎日白岩橋までジープで運ばれ、朝9時から夕方5時まで行いました。調査では川沿いや沢の中を歩きながら地層の種類を判別し、地層の向きや傾きを計測してフィールドノートに記載し、位置を地図に記入しながら、多い日には1日に10km以上も歩きます。これだけでも慣れない進学生にはきついのですが、実習はそれでは終わりません。夕食を食べ、風呂に入った後、午後8時頃から早くても10時、作業の遅い人は深夜0時近くまで、その日の調査結果をまとめ、フィールドノートや地図に鉛筆で記入した露頭情報を墨入れ※3し、それを基に翌日の調査の予定を立てるのです。今の時代ならパワハラだと訴えられてしまいそうな実習ですが、当時としてはギリギリ許容範囲内でした。進学生歓迎会などで先輩たちが実習のきつさを誇張して「魔の清澄山」実習として話し、後輩たちがビビる様子を見て喜んだものでした。

実際参加してみると、確かに体力的にはきつい実習ではありましたが、後で詳しくお話しするように良く考えられた面白い実習でもありました。この実習は1960年代に始まったと聞いていますが、それが半世紀以上たった今でも基本的な形を変えずに続けられていること、地質学教室の卒業生が研究者となり赴任していった京都大学や千葉大学、静岡大学などでも同様の実習が千葉演習林を使って行われてきたことからもそれが判ります。そして千葉演習林で行われてきた地質調査法実習が面白く教育的にも優れた実習である主たる理由は、そこに露出する地層やそれが織りなす地質の素晴らしさにあると言って良いでしょう。


※1 東京大学では、全員がまず教養学部に入学したあと、2年次にどの専門分野に進むか選択し、3年生になる際に「進学」します。
※2 露頭: 地層や岩石が地表に露出している場所。
※3 墨入れ: 調査中にフィールドノートや地形図に鉛筆で記入したメモや露頭の位置、地層の向きの測定値などが消えないように、宿に帰ってから墨でなぞること。観察した地層の種類などを色で塗り分けたりもする。
野外地質調査のフィールドとしての房総半島の素晴らしさ

房総半島には新第三紀~第四紀(約2300万年前~現在)と呼ばれる、地球の歴史45億年の中ではかなり新しい時代の地層が広く露出しています。特に半島南部には上総丘陵や安房丘陵の間を流れる川沿いに、様々な程度に傾いた地層が連続的に露出します。これらの丘陵の標高はせいぜい400mとたいした高さではありませんが、地形は急峻で尾根線は込み入っており、断崖絶壁が続くので、甘く見ると道に迷って遭難する事すらあります。実際、2003年には熟年のハイカー達30名の遭難騒ぎがありましたし、実は50年くらい前の実習中に学生が遭難しかけたこともあったそうです。こうした急峻な地形が形成されたのは房総半島南部が年2~3mmという非常に速い速度で隆起を続けていることが原因で、それが強い下刻(かこく)作用※4とそれによる地層の連続露出を生んだのです。この隆起運動は、太平洋プレートの日本海溝への沈み込みに伴う北西-南東方向の側方圧縮によると考えられ、それに伴って本州太平洋側の大陸棚斜面に堆積した地層が隆起するとともに、その過程で傾いたり、褶曲(しゅうきょく)したり、断層が形成されてそれによりずらされたりしています。

大陸棚斜面では、本州の河川から排出された泥が懸濁(けんだく)状態で沖に運ばれ、しずしずと堆積します。また、嵐の時には河口から砂が排出され、斜面を下って砂層を堆積させます。また、河口付近に一度堆積した砂質泥が地震などによって崩壊して乱泥流となって斜面を下り、砂層と泥層をセットで堆積させる場合もあります。更に、当時もちょうど今の伊豆大島の様に、沖合に火山島が存在し、その噴火により火山灰がしばしば噴出して、火山灰層を堆積させたと考えられています。こうして、頻繁に火山灰層を挟在(きょうざい)する砂泥互層(さでいごそう)※5が大陸棚斜面に堆積したのです。実際、外房の海岸線沿いにはきれいな層状をなす砂泥互層、そしてそれに頻繁に挟在する凝灰岩が露出し、美しい景観を作り出しています。また、演習林内の河川の河床には、しばしば地層が洗濯板の様に露出しています(写真1)。これは、砂岩に比べて泥岩の方が河川浸食に対する耐性が強いため形成されたものです。

この様に、房総半島南部は、顕著な層状構造により地層が認識しやすいこと、地層を追跡、対比する際に目印に使える凝灰岩層が頻繁に挟在すること、川沿いに地層が連続的に露出し、地層が様々な程度に傾き褶曲する様子や断層の存在が観察しやすいことなど、地質調査実習に適した条件が全てそろっている稀な地域なのです。特に千葉演習林内には、衝上(しょうじょう)断層※6と呼ばれる低角の逆断層※6が存在し、地層を大きくずらしています。また、大規模な褶曲も存在し、地質調査の基礎を教える上で必要な要素がコンパクトにそろっているのです。しかも、千葉演習林には立派な宿泊・実習施設があり、安い費用で利用できるのですから理想的な実習フィールドなのです。


※4 下刻作用: 川の流れが川底(河床)を掘り下げていくこと。
※5 砂泥互層: 砂層(砂岩)と泥層(泥岩)が交互に繰り返し重なっている地層。(写真1参照)
※6 逆断層: 左右から圧力がかかり、片方が斜め下へ、もう一方がその上に乗り上げるように動いてできた断層。
衝上断層: 逆断層のうち特に、断層面と水平面のなす角度が45度以下の浅い角度であるもの。


写真1 砂泥互層がもたらす洗濯板のような河床
千葉演習林でフィールド地質学の魅力を知る

無事に1週間の野外実習を終えて夏になると、当時の地質学鉱物学課程では長期の野外調査を元に進級論文を書くことが必修でした。進級論文のための調査実習は、地質学教室の教授が交代で担当し、3年生を一組3~4名の班に分け、3~4週間かけて特定地域の地質調査をさせるというものでした。私が進学した年の担当は飯島 東教授(堆積岩岩石学)で、千葉演習林が調査対象地域でした。あとで知ったのですが、飯島先生が千葉演習林から依頼を受け、演習林内の地質図を作ることになっており※7、その下準調査を兼ねて進級論文のための実習の対象地域に選んだのでした。私たち3名は、一番北の地域(池之沢入口より北)を担当し、札郷作業所に宿泊して36日間かけて調査を行いました。私たちの担当地域の地質構造は比較的簡単だったので、野外で地層の向きや傾斜を正確に測定し、地質図学を正しく適用しさえすれば、翌日調査する沢のどのあたりにどの地層が出る筈かを予想できました。そうした予想を毎晩行い、それが的中するという体験を繰り返すにつれ、私は野外地質調査のとりこになっていきました。そして、卒論研究は飯島先生に付き、気づいたらフィールド地質学の道を進み始めていました。

その後、1981年に地質学教室の助手になってからは、地質調査法実習の指導補助として再び千葉演習林に来るようになり、1991年に講師になってからは、実習の主担当として毎年清澄作業所に通うようになりました。実習は、時代の流れや学生気質の変化に合わせ、時期や期間、やり方などを変えたりしましたが、本質的な部分(2つの並行したルートを歩き、地層を対比し、柱状図(ちゅうじょうず)※8を作り、断層とそのずれ、褶曲構造を推定する)はずっと変わりませんでした。定年直前の2018年夏まで、海外出張で休んだ2回を除いた25年間、毎年実習を引率しました。学生や助手の時を含めると30回以上調査実習に来たことになります。「良く飽きないね」と言われることもありましたが、未経験の学生達にフィールド地質学の面白さを伝える役目を毎年続けられたことは、何物にも代え難い幸せな経験でした。それに、毎年何か新しい発見があるのです。それは一つには、毎年、がけ崩れが起こったり、沢の中の洲の位置が変わったりして、新しい露頭が出来るからです。しかしそれだけではなく、学生達が新鮮な目で露頭を観察することにより、新しい視点での物の見方、とらえ方、解釈の仕方が生まれることもあるのです。自然を五感で捉えて、先入観を持たず、感じたことから発想することがフィールド地質学の面白さ、奥深さに繋がるのだと思います。

地質調査法実習は、クラブ活動における合宿の様でもあります。共通の目的を持った仲間と、同じ目的のために協力し合い、寝起きを共にし、同じ釜の飯を食べることにより、互いの事をより深く理解しあい、連帯感が生まれてきます。地質学鉱物学課程の学生数は1学年13名程度でしたが、この実習により結束が固まり、それが、人間関係が濃いという課程の特色を生み出していたのだと思います。この実習を機に、フィールド地質学が嫌いになった学生も少なからず居ましたが、そういう学生達でも、演習林での実習のことは記憶に深く刻まれ、卒業後の同期会などでは、千葉演習林での野外調査実習の話に花を咲かせているようです。2006年に改組されてできた地球惑星環境学科においては、この実習は選択必修となり、時期も8月初旬に変わりました。しかし、学科の名物実習であることは今も変わりません。昨年、定年退職して、もはやこの実習に参加できない事をちょっと寂しく感じるこの頃です。



地質図の例

※7 この調査結果は、以下の報告として整理公表されています。
飯島東・池谷仙之(1976)千葉演習林の地質. 演習林 20:1-38.
※8 柱状図: 地層が積み重なる様子を、ボーリングの様に地層に垂直な方向から柱状にくりぬいた時の柱側面の見かけとして模式的に示した図。
実習風景:
(執筆:2020年4月)

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