・第15回研究会
2006年9月02日の記録

話題提供者 
今本博健 
(淀川水系流域委員会委員長)

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●話題提供者
今本博健 (淀川水系流域委員会委員長)
 「流域委員会方式の成果と限界」 ダムコンフリクトを抱えた流域委員会である淀川を例に、流域委員会方式の成果と限界について見解を述べる。
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第15回研究会話題提供の要約
流域委員会の実態は
●流域委員会は、委員の選出方法、事務局の体制、傍聴者の発言時間の有無など、水系によって異なる。事務局は河川管理者が大半、これではお手盛りといわれてもしょうがない。
これらの実態を調べた日弁連は、「法の要件を満たすためだけに設置され、河川法の趣旨が生かされていないのが大半」という厳しい評価をしている。河川管理者には河川法を生かす意欲を持ってもらいたい。
●過去河川管理者は重要で大きな仕事をしてきた。しかし、河川環境を破壊してきた面があるということで、河川法が改正された。過去3回の大きな改正のなかで、今回がもっとも大きな改正だと思う。
●河川管理者は、河川法の改正のときは意欲的に取り組んでいたと思う。この10年でその意欲が褪せつつある、むしろ悪くなっているのでは。なぜ改正しなければならなかったのか、なぜ環境の保全を取り入れなければならなかったのかということを思い起こして実行して欲しい。
●流域委員会は学識経験者の意見を聴くために設置されるが、どのようにして委員を選ぶのかは河川管理者に任せられている。また意見をどのように反映させるかも河川管理者の判断である。委員自らが意見の取りまとめを行う委員会はきわめて少ない。これでは言いっぱなしで、委員としての責任を果たしているとは思えない。事務局がとりまとめるのではなく、委員が取りまとめていただきたい。
●一般の傍聴者にも発言を認めるべきだ。普通は発言を認めていない。傍聴させるだけだ。一般住民の意見も、寄せられるのを待つだけでなく、積極的に聴取すべきだ。
●事務局は公平性、透明性の点から第三者へ委託と言うのが最低条件だと思うが、これを実践しているのは淀川だけではないか。
●委員会の運営も、民主的運営を望むが、これも管理者が事務局を兼任していては出来ないと考える。

淀川流域委員会について
●2001年2月に設立。流域委員会を作ろうと河川管理者が決心したのはおそらくそれより1年ほど前からではなかったかと思う。当時、淀川については、基本方針の審議の日程すら話題に上っていない。
●まず、流域委員会を発足させるための準備会議を設置した。四つの分野から4名委員が決まった。4人のうち2人を公共事業にかなり批判的な発言をしてきた人である。淀川の河川管理者は気が狂ったのではないかとうわさされる程、異例のことであったと思う。
●準備会議は、一般意見の反映をすべきだとか、流域委員会のモデルを目指すなど、高い志と希望に燃えた答申を行っている。答申した運営方式はこの準備会議自身でも実践されている。実践されてないのは、河川管理者が独断で準備委員会の4人を決めたことだけ。
この準備会議の委員が、委員候補として500名近い応募あるいは推薦のなかから53人を選んだ。そういう選び方を提案したのも準備会議。その後の委員会の方向性がこの準備会議で決まったと考えている。こうしたことには河川管理者も大いに関与している。当時としては考えられないほどの斬新的な方法をとったと考えている。こうして出来たのが流域委員会。準備会議が選んだ委員候補の全員を河川管理者が委員として委嘱している。
●この委員会で注目されるのは委員の中に一般の住民やNPOの関係者を含んでいることである。NPOの関係者は、代表者としてではなく、個人として選出されている。それまでは学識経験者といえば、学者であるとか、研究者であった。それに対して、言い方は悪いが、普通のおばさんも入っている。なにかに発表された河川の関係の「作文」の内容がよかったということで、作文を書いた中学生の母親まで入っている。「地域の特性に詳しい」というのが委員に委嘱した名目上の理由である。
●発足当初の委員会はあまり活発ではなかった。最初はひたすら、河川管理者による「河川の現状」についての説明だった。委員の人も「自分はこのような活動をしている」という自己宣伝が多かった。1年ほど過ぎた時点で、委員会や各地域部会の活動を「中間とりまとめ」という形で発表しようということになり、さらに1年過ぎた段階で、河川整備計画のあり方や河川整備計画に盛り込むべき内容について「提言」しようとの動きが委員会の自発的意思として出てきた。「提言」については、堤防補強やダムなどの部分を除くと、河川管理者との議論の結果に基づいたもので、河川管理者との「共通認識」といえる。
●「基礎原案に対する意見書」については、「委員会の提言が反映されているか」という視点から、委員会の意見をまとめた。総論は賛成でも、各論になると異論がでてくるため、「意見書」には少数意見を併記することにした。不満はあるかとは思うが、出来る限り一般の意見も反映するようにした。
●委員会の成果としては、「提言」、「意見書」を委員が分担執筆して発表したことが大きい。
●「提言」では、「これまでの河川整備では治水および利水が中心であったが、これからは環境重視にしたものにしよう」といっているが、「環境を最優先にすべきである」としたほうがよかったかなといま考えている。
●また治水に関しては、「いかなる大洪水の場合でも、被害を回避・軽減するようにしよう」ということにした。あらゆる大災害において壊滅的な被害を出さないことにしようと言うことになった。
●水資源については、これ以上水需要を増やさないようにしようと言う提言をしている。
●ダムについては、「原則として建設しない」とした。
●「基礎原案に対する意見書」では、事業中の5つのダムに対し、「中止することも選択肢の一つとして、抜本的な見直しが必要である」としている。
●昨年7月に、河川管理者は「事業中の5つのダムの方針」を発表し、丹生ダム、天ヶ瀬ダム再開発、川上ダムについては「実施する」、大戸川ダム、余野川ダムについては「当面実施しない」とした。これに対する「意見」では、天瀬ダムの再開発を実施することについては、琵琶湖の環境改善に役立つという理由から、「やむを得ない」と判断をした。丹生ダムおよび川上ダムを実施するということについては「賛成できない」とした。委員会は、ダム否定派ではなく、どうしようもないときはダムをつくのはやむを得ないと考えているが、ダム以外の代替案がある場合は、ダム計画を実施するということには賛成できないということである。委員会が賛成できないとしているのに、河川管理者が実施しようとする場合に委員会はどう対応するのか、それがこれからの委員会の課題である。どうしても必要ということを委員会が納得するように説明してくれと思っている。委員会ははじめから反対というわけではない。なお、当面実施しないとした2つのダムの方針に対しては、「賛成する」とするとともに、事後措置に格別の配慮をすることを求めた。

流域委員会方式の問題点
●河川管理者と委員と一般住民と事務局の四者が「意欲的に取組む」ことで初めて委員会が機能することになる。委員には最低限出席する義務がある。ほとんど出席しない委員がいた。年間100回くらいの委員会が開かれた。50回は出席しないといけない。これは大変なこと。絶対ダムはいるとがんばる人もおれば、いらないという人もいる。いるか要らないかではなく、必要性を論理的に検討することが重要。
●担当者の交代で継続性をもてないという問題。
●委員会の経費の問題。
公開で1回すると500万くらいかかる。年間あたり、1億4000万くらいかけている。一般傍聴者も大変。委員には交通費が出る。場所によっては、一般の人は行くだけで交通費が5000円はかかる。
●委員会の審議能力の問題
個人の能力の問題もあるが、委員会自らが計算してみるような作業も必要。普通はコンサルタントに委託する。ただ委員会には委託するという権限がない、調査能力がない。利水ついて過去のデータはあるが予測することが出来ない。
●委員会の活動がどれだけ反映されるのかと言うことが問題。大きな論点で反映しなかった場合は少なくともなぜ反映されなかったのかの説明が要る。
●委員会が発足して5年半たっている。基本方針はまだ決まっていない。8月の3日で決まって、9月ぐらいで決まるということだったが、河川局が想定していた人以外の人が知事になってしまったもので、私が任期中には決まらないんではないか。委員会の委員を総入れ替えにしてやるということもありえる。そうされても仕方がない。委員会方式がどうのではなく、関与する人の意欲が問題であると思う。

吉野川方式について
●学識者会議、学者だけしかいない。選び方も問題。
●意見を聞く会だと何百回やったところで一方的。これをどうするのか。
●現時点での評価をすると、もっとも重要な第十堰を避けて通るような意欲のなさでは何も出来ない。
●学識者会議と言うのは流域委員会から一般住民をはずしたに過ぎない。
●ファシリテーター方式は、論点の整理に留まって、住民側に特に不満が多い。そういうことがないように、していって欲しい。

論点の整理
●基本的な認識として川は悪くなっていると思っている。これまでの河川整備の延長線では、川はよくならない。
●河川技術という観点からこれまでの時代を区分すると、3つに分けられる。
第一の時代は中世までで、潅漑のような利水には努力の跡がみられるが、治水については見るべきものがない。洪水に対しては「ほとんどなにもできなかった」のである。本格的な治水が行われるようになるのは戦国時代以降。江戸時代までが第二の時代である。信玄に代表される「受け」の技術と秀吉による「攻め」の技術を組み合わせて、近世河川技術の華を咲かせた。第三の時代は明治以降現代まで。欧米の先進技術を取り入れるとともに、動力、機械、材料の飛躍的発展を背景に近代河川技術の華をさかせた。今、治水や利水はずいぶんよくなったが、基本的な何かが欠けている。第四の時代が必要だと考えている。
●国土交通省も変わろうとしている。総合治水対策が1977年に導入された。その後87年には超過洪水対策が導入された。だが、実際にやったことはスーパー堤防だけ。2003年の答申で水はあふれるということを前提としたものが入っている。行政には本当に賢い人がいる。本気で実行しようとしないことが問題。
●治水、利水、環境ということだが、基本的に相容れない要素がある。環境を最優先に考えることが必要では。それでは河川で治水は持たないということであるならば、河川だけでなくほかの方法も取り入れて、所定の安全度を図るといったそういう考えを大事に。ともかく川に関しては第四の時代をなるべく早く開いて欲しい。われわれも、そういう歴史的な転換期にあるということを自覚する必要がある。
●ハザードミニマムと言う考え。基本的治水権といっても良い。少なくとも水害では死なせないようにしなければならない。このことは、明日からでもお金をかけずに出来る。地震は予知できないが洪水は出来る。1分前に動き出せば命は必ず助かる。いろんなお金をかける前にまず真っ先にこれをすべきだ。

〈質疑応答〉
大塚
都道府県知事と、流域委員会との関係について。

今本
まったく関係ない。一つのプロセスで、河川整備計画の最終案に対して市町村の長が意見を言う。滋賀県の知事はこの前まで淀川水系流域委員会の委員をしていた、嘉田さんが前知事と違う意見を持っていたがために、河川整備基本方針を決めかねているのではないか。知事がどうのこうのというのではなく個人的な状況。

蔵治
基本高水を決める小委員会に知事はメンバーとして入っている。球磨川での熊本県知事はこれに毎回出席しており、非常に強い意見を発言している。淀川の基本高水を決めるとき当然嘉田さんは出席され、ご見解を述べるということが予想される。そういう背景もあって急遽延期されたという背景もあるのでは。

今本
そういう状況です。

豊岡
治水と環境ということで。環境を最優先と言うことになった見解、その背景とは。徳島でも治水が第一優勢と言う専門家がいる。その相容れないところについて。

今本
洪水が氾濫して死者が出るのは「突発的殺人」、環境を壊せば「緩慢なる大量殺人」。治水が進んでも環境が悪くなれば何のための整備かわからない。お金さえかければ洪水はある程度は克服できる。けれども内水が氾濫したり、支流があふれたりして、程度の差はともかくとして水害は永久に克服し得ないというものだと考えている。その一方で土砂災害も起こる。そういう意味でも、環境を大事にしなければいけないと思っている。私も20年まえまでは環境よりも治水が大事ではないかと思っていた。
治水が大事と言う人は、本当に考えた結果言っているのかと聞きたい。考えに考えた上で治水だというならそれでいいが、治水の専門家だから、治水より環境を大事にされたら沽券にかかわるという程度で、治水が大事だと言われたらこれはもうもってのほかだ。


姫野
最後吉野川方式との比較をされた。淀川でご尽力された。他の河川については淀川に、ついてこいというかたちなのだろうかということについて。

今本
淀川にとっては淀川方式が最良であったと考えている。吉野川は吉野川の最良の方式があると思っている。基本的なところの必要条件がある上でのものはあるが。極端に言えば、吉野川方式が淀川よりいい結果を出されたら淀川としてもうれしい。それだけの成果が出せるもんかという自信はあるが。もし抜かれたら脱帽して参りましたと言います。

吉田
本来自分たちで考えるものだと思うが、吉野川方式が、淀川方式を越えるためのコメントというかそういうものを教えていただきたい。

今本
最低条件として、双方向的な議論をすべきだと思う。河川管理者側の意欲に問題があると思っている。吉野川は河川管理者のものではない。たまたま公務員試験を通って、担当しているだけ。自分らのもののような錯覚している。いまでも、お上根性を抜け切れていない。確かにこれまでは陳情に陳情を重ねるやり方でやってきた。ただこのやり方はこれから通用しない。その結果が今の川であるということもある。もちろんよくなった面もある。僕らが子供の頃のほんの数十年前までは、川で子供が遊ぶということは当たり前の風景だった。今はそれが出来ない。確かに、川で遊ぶということは年間300人くらいの子供が亡くなるかもわからない。でも年間数1000人以上の子供たちが通学途中、交通事故で亡くなっている。だけども学校へ行くのをやめるかといったらそれは違う。川で遊ばないということはものすごく重要なものをなくしているような気がする。そういう川に将来なって欲しいと考えている。

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