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日本学術振興会人文社会科学振興プロジェクト
「青の革命と水のガバナンス」研究グループ

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第13回研究会
日時:2006年5月13日(土) 13:00~15:00
場所:熊本県人吉市
開催趣旨:
不知火海・球磨川流域圏学会の第1回総会・研究発表会が5月14日(日)に球磨川中流の多良木町にて行われます。本学会の設立をサポートして参りました「青の革命」では、この機会にあわせて以下のように研究会を開催しました。

出席者(敬省略)
参加者
杉浦 未希子   東京大学新領域創成科学研究科中山幹康研究室D3
蔵治 光一郎   東大・愛知演習林 講師
木原 滋哉     呉工業高等専門学校
新井 祥穂    東京大学大学院総合文化研究科 人文地理
重松 貴子    ラフトガイド
坂本 久生    愛知県立大学(非常勤)
木本 雅己     清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会
中島 康      清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会
本村 令斗    清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会
村上 雅博    高知工科大学 フロンティア工学教室 
赤木 光代    子守唄の里・清流川辺川を守る県民の会
高橋 ユリカ    ジャーナリスト
出水 麻衣    美しい球磨川を守る市民の会 
今村 建二    朝日新聞福岡本部報道センター 
原 豊典        清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会
平山 信夫    美しい球磨川を守る市民の会・球磨川漁協
坂川 昌生   美しい球磨川を守る市民の会
川辺 敬子    やまんたろ・かわんたろの会
市花 保     清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会
満田 隆ニ    美しい球磨川を守る市民の会  
山崎 高子    川辺川ダム反対運動
柳原 哲夫   熊本日日新聞福岡支社営業部
中村 勝洋   熊本日日新聞人吉総局
遠山 幸穂   人吉中央出版社 週間人吉
大塚 勝海   くまもと経済㈱地域情報センター㈱地域経済センター
中務 千秋   クマタカを守る会
帯金 征一郎  下球磨・芦北川漁師組合
つる 詳子   美しい球磨川を守る市民の会 
安部 周一   毎日新聞社・人吉通信部
溝口 隼平    東大・愛知演習林

議事録(敬称略)
1.開催趣旨説明
  日本学術振興会人文・社会科学振興プロジェクト「青の革命と水のガバナンス」研究グループは、流域圏ガバナンスにおける異分野研究者の参画の重要性に鑑み、不知火海・球磨川流域圏学会の設立を構想段階から支援してきました。その結果、学会が昨年10月に設立され、5月14日に第1回総会・研究発表会が開催される運びとなりましたので、その機会に合わせ、球磨川流域および九州の他の流域における研究報告と情報・意見交換を目的として、第13回「青の革命」研究会を行うこととしました。

  開催テーマ説明

九州では最初。最初が人吉、とても意義深いものであると感じている。当研究会ではテーマを設定することもあれば、あまり設定せずに行うことも多い。今日のテーマは、あえて言えば「統合的な水と土地の管理というのはどのようなものであるか」ということをテーマに進めていければよいと考えている。具体的に言うと森林と河川というのはどういう風に、一緒に管理していけばいいのかということ。 経緯の整理として。明治29年の河川法制定以来、昭和39年平成9年と河川法が改正されてきている。 河川法が扱うのが当初治水だけであったのが、39年の改正で利水が入り、平成9年に三つの視点が盛り込まれた。ひとつが環境という視点が入ってきたこと。河川工事計画が二つに分離された。最後に、関係住民の意見を反映されるということ明記されたということ。それから現在までにすでに8年経過してきた。こういうプロセスが着々と進められている最中であるが、この中で大きな問題が生じてきている。この地域でも、球磨川の管理の問題でもその問題が露呈してきている。 そもそも治水とは何かを、明治政府が29年に制定してから、間違って解釈してきたのではないか。川を治める=山を治めるは日本のような国土では前提。そもそも明治29年直前に起きた淀川、琵琶湖の大災害をふまえ100年前、治水をしなければならないということで河川法・砂防法・森林法として治水三法を制定した。明治政府は治水というのは山を治めるということも大事だということ法律に反映している。それに対応する省庁を決めた。ところがその後、縦割りを100年間続けてきた。治水というのは本来一体となって統一としてするべき。河川・砂防・森林の連携が失われてしまっていることについてのひずみがある。 これからの河川の管理というものは、これまで国土交通省が行ってきた河道とダムによる河川管理といったものではなく、流域の土地利用と一緒になった洪水の対策を行うような本来の治水のありかに戻していくにはどうして行ったらいいのかという視点で聞いていただけたらいいと思っている。

2.話題提供

2-1.杉浦未希子 (東京大学・大学院新領域創成科学研究科)
  『五ヶ瀬川水系北川における流域治水の現状と将来展望-霞堤、遊水池と農民の意識-』
                                当日資料  PDFファイル1.25MB
農業従事者の実情とその水の利用ということを主たるテーマにしています。その一環として宮崎県の五ヶ瀬川水系の北川に入って調査をしている。その過程で農地、もしくは水利用というテーマだけでは解決できないというものがある。広い視点が必要ということで今回のテーマで発表。

発表は三つの目的で発表

○宮崎県の北川上流における霞提の治水方法の成り立ちと背景
○「治水」と「環境」の両立に直面する流域住民(今回は特に北川町の農業従事者の態様)
○近代的遊水地の現状における問題点と将来の展望

五ヶ瀬川水系概要説明

平成9年に大水害を受け(14年にも大災害)、同年激甚災害対策特別緊急事業が開始。5ヵ年間で15kmの河川改修が行われた。これは国や県が管理する河川において深刻な被害があったときに緊急かつ迅速に行われる事業。委員会としては、平成10年に河川環境情報図というものの作成を目指し、北川「川づくり」検討委員会というものが宮崎県と河川局とで設定される。また平成16年から現在までに、約10回近く流域委員会が機能している。流域委員会は目的がそれぞれ異なっているので、一般化するのは難しいが、ここの委員会は比較的一般的な学識経験者の意見を反映するといったもの。目的としては住民の意見を反映させる方法について助言をするということで、基本的に学識経験者の集まり。北川「川づくり」検討委員会は、16名の委員の中に北川町長、北川漁協長の二名が。五ヶ瀬川水系流域委員会には流域の方が24名中4名上入っている。中流域の方は郷土研究家という方が一名参加している。
治水・利水・環境という視点が強くこの流域委員会にも盛り込まれているというのが言えると思う。
環境という視点が流域委員会を通じ現れてきている。
北川町は農業を行いながら林業を行うというパターンが多い。近年木材価格の下落で厳しい状況である。
農業従事者は、中山間地全般の問題とも言えるかもわからないが高齢化と、担い手不足の問題を抱えている。
農林水産業従事者の割合が高い地域。他の、農地・住居可能な土地面積が少ないというのがこの地域の特徴。河川の勾配では、豊かな土壌が貯まりやすい勾配に位置する地域。北川町で実際に耕作可能な地域というのは全体の8%しかない。

北川の霞提の説明

109水系のうち、半分に今も存在しているといわれる、不連続提。もともと北川流域も霞提があった。昭和50年代の河川事業として、近代工法として霞提を復活させ、さらに平成9年の激甚災害対策特別緊急事業でも連続採用したと評価できる。霞提の分類・規模と位置・規模の説明。図・写真参照。
本村地区の遊水地としての規模はそう多くなく、ほとんど家田地区の遊水地で下流域延岡の治水効果を上げていると言われている。実際どのくらい水がくるのかと言うことでは、平成9年の洪水では、5m、14年では7メートル。詳細資料中の図参照。


霞提の成り立ちと背景の整理

元々は慶長年間の水防林の植樹から河川域が始まっている。部落単位での厳しい規律で管理してきた。河川、竹やぶ、盛り土、霞提として伝統的工法で管理をしてきた。
ところが明治になり、田んぼを継続維持できるよう強く求められてくるようになってきた。それを反映する形で住民から護岸工事、完全な治水を望む声が上がって、昭和10年代後半から水防林の伐採とともに護岸工事が行われる。
その後の水防組織の解体とともに地元による河川管理がなくなってしまう。国の管理が明確になる昭和50年代になるまで「主体の空白期間」というものがあると考えている。
開田期としては明治のころから。その後水防林の伐採とともに田畑がどんどん増えていく。戦中戦後の食料増産の食管制度も大きく作用してきたと。ただ、昭和40年代に水田面積がピークになって、現在担い手不足や老齢化、食管制度廃止などの影響もあり、現在土地改良区が解除傾向にある。人々の意識としては「洪水」だと認識していたものが、高い生産性を上げなくてはならない、求められるということで「水害」と言う認識へ変わっていった、と言う風に把握できるのではと考える。

まとめとしては、北川町の霞提は①起源は伝統的治水工法にあったかもしれないが現代工法によって新しく作られたもので②自然治水から国主体へと主体への移行を象徴するインフラであるといえると考える。
また③従来の河道主義、すなわち水を早く海まで流してしまうことによって治水を図るということに変わる新たな治水の方法を提示しているのではないかということ。


近代的遊水地の周辺に住む人にとっては、厳しい狭間のようなところで生きていかなくてはならないということで、治水と環境と言う両方の機能を併せ持つ、近代的な遊水地というものに今後の展望を見出しうるというふうになるのではないかと思う。


現地でどうして霞提が採用されたのかと言うことを、住民、町役場などの方に聞いたところ、いまひとつ明確ではない。
自分なりにまとめると二面性があるのでは。
ひとつが流域住民にとって、もうひとつが流域全体にとって。
流域住民にとっては、先祖代々維持してきた少ない耕作地を維持した上で一定の治水効果もあげて欲しいということ。連続堤防を築くとなると、河川流量を増やすため川幅を広げなくてはならないということで、せっかく川の横にある平地、耕作できる土地がなくなってしまうということ。それならば不連続提である程度の被害を受けながらも耕作もしていく。という流域住民にとってのメリットもあった。
二番目は流域全体としては、上流域に遊水地があることによって下流域では、自分たちの産業地、住宅地を維持することが出来る。この二つのメリットがある。
こうなると農業の持続というメリットが流域住民の中で薄くなってきている現状が問題となってくる。
農業従事者としては、担い手不足と老齢化で農業と言うものが粗放化してきている。耕作放棄田の増加や耕作委託先が高齢で不可能になってきつつある。
霞提を採用するということで新たな動機付けとして「環境」というもの登場してきた。あるいは結果的に「環境」というキーワードがそのような役割を担うことになっているのが現状。
中山間地では農業従事者が林業も行っているので農業だけでなく林業も同様に継続しにくくなっているのが現状である。森林の放棄や、皆伐後何も植えないということで、ヒバが生えてきてしまっている。
またなによりも問題だと感じたのは、森林と田と川との繋がりを体を通して感じることが出来る世代が少なくなってきているということ。この件に関して危惧を抱いた感想を漏らした方と言うのが、ほぼ80代後半の方。
ヒアリングをした60代の方は延岡市に出稼ぎに行きながら週末農業を行うという形態で、平日は奥さんが農業をしてくれているといった方で、それほど愛着というか危機感をもっていない。80代の方はきれいな川やしっかりした森林を知っている。そこが荒れていっておさまってまた荒れたという経緯を知っている方とのギャップがあるという風に感じた。
また森林と川との繋がりとしてどういう風に捉えているかといったら、水神様の捉え方がある。
下流域で、水防組織や慣習として畳堤の伝統を持つ地域では、治水と洪水の神様≒水神という風に感じているのに対し、北川町のほうでは山神≒水神と言う風に捉えられている。そこに近年、田の神様として水神の捉えられ方が入ってきたというような形跡がある。
昔は多くの地区でこの水神祭りがあったが今では、家田・川坂地区の農業の盛んなところに存続するのみ。家田地区だとほぼ120年続きほぼ開田時期と一致している。何をするかといえば、飲み食いをして、豊穣を感謝し、お願いをするといったようなもの。田んぼへの水みちに白い帯状のものを立てている。水神祭りになると各戸にも同様のものが並ぶ。

今までは精神的な捉えかただったのですが、これがどう悪い意味で破綻して言っているのかということを。
森林の伐採時期と日を同じくするように、田畑への水源となっていた溜池が埋まってしまっているということがある。管理するために一度埋まっているのを取っても数ヶ月でまた埋まってしまう。
原因は何かというと、経験値のみのもので実証されているものではないが、林道の抜きすぎを指摘している。また、民有林を借り受けたが、返却に合わせ皆伐を行っているのもひとつの原因。結果崩落が止まらない。

そういった状況で農業従事者に「治水」と「環境」といった点からアンケートを実施。
○対象:平成3年時点で土地改良区だった地域
  農業人口1,893人のうち基幹的農業従事者333人を含む400人
  霞提開放部および上流地域
○調査方法:聞き取りおよびアンケート調査
○調査項目
  川や霞提とのかかわり、「水」と捉え方 など 19項目

アンケートで把握したことの抜粋。

○低下する農業の位置づけ
  ・「パチンコ農業は子どもにはやらせたくない」
  ・「生産性の高い土地でないのは知っている」
  ・「林業もダメだし、延岡にも仕事はないから、農業ぐらいだけど、それももう…」
  ・「もう米を作って生活できる時代じゃない」(食管制)
  ・「昭和40年代に(土地改良区の)役員をやっていたのに、まだやらされて信じられない気持ち。人がいない」
  ・「切られる地域」
○「環境」という新たなキーワードへの戸惑い
  ・「霞提」の周知度の低さ
  ・治水への関心は高いが関与はしない:「国がやる」
  ・「環境って『地産地消』のことだよね?農業を続けて頑張ることなのに、なぜ水害も受けないといけないの?」
  ・生物多様性を理由とした河川環境の保全に住民を巻き込む動き:「霞提が環境に優しいといわれても分からないけど、湿原は保全しないといけないよね」

○「なぜ下流地域のために自分たちが犠牲にならなければならないのか」という疑問の登場
  ・「農業ができるならまだいいが」
  ・激特事業費の割り振りへの不満
  ・「でも、中山間振興で貰う援助は助かる」(趣旨は全く異なるが):一定の補償を受けることで森林、田、および地域を維持できることには満足

○「環境」観の捉えなおしと、森林・田・川のつながりの再把握の動き
  ・地先治水から国主体の治水への移行期における主体の喪失
  ・「水を守る山を残そう会」
  ・漁協による「水源の森事業」:水産動植物の繁殖保護対策事業 (H12~40年間)


現状としての問題点のまとめ

「農業の継続」というメリットに代わる新たな基準として「環境」というキーワードが政策上強調される傾向
しかし、上流域住民にとって「環境」とは「地産地消」に代表されるような農業の継続や森林の保全であり、洪水被害を甘受する価値基準としては充分機能していず、住民の「環境」観に混乱が生じている
「上流域」(遊水地)と「下流域」(受益地)という新たな区分けと意識が、「農村」と「都市」という枠組みと結びつく傾向
霞提開放部とそうでない地域との不公平感のみならず、対都市への不公平感をも生みかねない状況である
上流域住民が抱える不公平感は結果的にではあるが中山間地域への農業補助金によって現在緩和されている
森林保全の取り組みは、現在完全に民間によって行われている
流域委員会において上流域の現状を伝えるパイプが少ない

近代的遊水地としての今後の展望 

「環境」を象徴するインフラ
治水と環境という二つの機能を担う地域への配慮
上下流交流の必要性の周知
自治体の関与
住民意におけるコスト意識のバランスの把握
公的機能を果たす上流域(不利益地)における農業継続の意義の再考
森林・川・田のつながりの統一的な把握
政策の統一性・一貫性および関係組織の横の連関←混乱する「環境」観
高齢化や農林業の不振を前提にした、より実質的な合意形成のシステムへ


質疑応答
Q、
霞堤を調べるにいたったH9年の水害について、下流域住民の霞提の認知はどうか。またその洪水軽減効果効果と評価は。


原(清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会)
国はどうして霞提を採用したのか。選択指にダムはなかったのか?

杉浦
下流域の認知はほとんどない。河川工学者が論文で立証しているというのがある。評価としては、ほぼその霞提に依存しているという研究結果が出ている。数値は今明確に示せない。数値調べて具体的にお知らせできると思う。この件に関して、50年代の霞提採用について影響を与えたS46年くらいに書いた報告書、研究がある。高橋裕らが書いた報告書。環境を山と川と里との研究会。NGOみたいな組織での共同調査。ダムの選択肢も示されたがコストバランスなどを考慮して適切ではないと結論された。これが素直な形で国側に採用されたと思っている。
先見の明があるというのがポジティブな見方。
ネガティブな見方としては、空白期間がある、回帰している、明らかに戻っている。いかにもインフラがずっと続いているかのような、今現在の捉え方をするきっかけがあってそれがよくないかなという風に思っている。

原(清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会)
流域ではダム計画があったのでしょうか?

杉浦
ダム計画は検討された。放水路も検討。水文学的、河川工学的にあわないということでダ ムは却下。一番費用がかからず下流域・流域での利益がもっともよくなるということで霞提が採用された。


中島 康 清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会
「近代的遊水地」という言葉とは。構造上の問題ではなくて意味合いによる表現なのかどうか。
上下流域においての不公平感が補助金等によって緩和されているというかある程度緩和されているということに関してもう少し詳しいことを知りたい。

杉浦
「近代的遊水地」が正確な表現かどうかはわからないが、今回使ったという意味は、構造的ものではなく意義的なもの。昔はローテクな手段をでそうせざるを得ないということでとられてきた方法であるが、現在は、工学的技術も、理由があればお金もとってこれる状態で、あえてこのような方法をとったということに関しての意味合い。そのような方法論を含めて近代的遊水地という言葉を使わせていただいた。
上下流域での補助金については、直接的な補助金は、それを銘打ったものはない。あとは補助金としては家を2メートル棟上するといった形での補助金がある。ただ、実際採用しているところは少ない。
何ヶ月か家を空けなくてはならないということと、2メートル上げたからといって7メートル上がってしまえば一緒だということで、あまり歓迎されていない。そのようなものよりも直接的な現金のような、役に立つものが欲しい、というのが正直な感想のようです。

蔵治
ここで言われました「不公平を緩和する補助金」というのは、中山間地直接支払い制度のことですか。結果的に治水とはまったく関係ない農水省の中山間地活性化維持させるための枠組みの補助金ということですね。

杉浦
そうです。中山間地の山林と生活を維持するための補助金が、治水にはまったく関係ない補助金が、柔軟に使っていいよという形で使われていて、結果的に上下流域の不公平感を緩和するという役割になっている。


蔵治補足
デカップリングといいますね。
五ヶ瀬川水系全体のデータしかないのですが、平成16年に河川整備基本方針を制定しています。そのときに基本高水がそれまで6000から7200に引き上げています。直前平成9年の災害に対応させ引き上げたのだろうということですね。
実は五ヶ瀬川の既往最大洪水、これまでにこの地域に最大の洪水が来たのは平成9年ではなくて平成5年。このときの台風13号ですね。このときの基準点における最大流量は6441トンですね。現在の計画高水が6000という既往最大洪水のよりものよりも、低くなっている。というのがこの河川管理の特徴で、ここではそれをふまえた流域委員会が立ち上げられている。

原(清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会)
遊水地がそう大きくないが、その効果が、微々たるものなのかかなりあるのか。評価としてはどうか。

杉浦
公的には、大変大きな効果がある、といった評価が出ているが地元の人にとっては必ずしも納得していない。また、地元のメリットとして、1/1000くらいの傾斜なので豊かな土がくるだろうと言うが、そうではない。今の農業は農薬などにによって繊細に管理しているので洪水によるイレギュラーな要素は歓迎する要素に入らない。リスクのなにものでもないという認識。ただ下流域にとっては非常に大きなメリットがあるといった研究が出ています。


山崎 高子 川辺川ダム反対運動
この流域に年一度くらい行く。上流のダム操作が原因だという見方もありますが。延岡のために使ったということで非常に気の毒なのですけども。ダムとの関連やっぱり下流のために犠牲になっているというのがある。


今回の発表とは少しぶれるので、はずした形で発表している。被害が起こったのが本流と支流が交わるところにある。本流にあるダムで大型放流を行った結果、本流の流れがブロックのようになり、支流がぶつかり流れなくなって、浸水し被害が起き死人も出ている。
それが現地では遊水地と非常に複雑な感情で、一緒になっている。

原(清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会)
北川と、五ヶ瀬川は下流で合流しているにすぎない基本的に別の川だという認識があるという問題があるが、ここでおっしゃった基本高水というのは北川の基本高水なのか、五ヶ瀬川全体の基本高水なのか。

水系全体の計画の基本高水である。本来別の川であるにもかかわらず、ひとつの計画でやっている。流域委員会などがあると北川からはあまり出ない。出ても一名二名。郷土研究者といった立場。特に利益団体という背景で参加しているわけではないので、言葉は悪いが、軽い扱いを受けているのが現状。

原(清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会)

戦前も今のような省庁だったのか。その縦割りの組織はどのような形だったのか?
蔵治
建設省が内務省だった時代はありますけども、農林水産省と内務省は別々だった。おそらく明治期よりずっと別だったのでは、


村上 雅博 高知工科大学 フロンティア工学教室 
まとめていただきたい。今回の発表を一言で言うと。

A、一番主張したかったことは、宮崎の、現在採られている「近代的遊水地」というシステムに平成9年の河川法改正以来の環境重視の政策が投影されているということ、もしくは今まで住民主体としてきたものが、国主体に移っていく過程がシンボル化されている事例のように思う。そこの問題点や動向を見ることが、今後の環境重視の政策がどういう結果をもたらすのかということの参考になるのではないかというふうに思っている。
具体的には、今後の展望のところで述べた、治水と環境保全の二つの機能を担う地域への配慮と言うことで、上下流交流が必要だということ、中山間地の公的機能維持のための政策的配慮をしなくてはならないということ。また高齢者ばかりのような地域ではそれを政策に反映さえるようなことがしにくい。そのような意見を上に伝えていくパイプのようなもの、何らかの形で政策に反映させていくような働きかけが必要なのではないか。
 

2-2.蔵治光一郎 (東京大学・愛知演習林)
  『球磨川水系を議論した河川整備基本方針検討小委員会傍聴記』

    準備中

2-3.木原滋哉 (呉工業高等専門学校)
  『河川管理の合意形成と川辺川ダム問題』

当日参考資料
1ダム反対運動と公共圏-受益圏における川辺川ダム反対運動について-呉工業高等専門学校研究報告第67号別冊No67,August 2005

内容メモ
1.なぜ熊本で住民討論集会が実現したのか。
2.住民討論集会で何がどのように問題とされたのか。



1 なぜ熊本で住民討論集会が実現したのか。
 熊本県をコーディネーターとして、ダム反対派と国土交通省とのあいだで川辺川ダム問題をめぐって大規模な討論集会が行われている。この住民討論集会は、2001年から2003年にかけて、毎回数時間という時間をかけて9回実施され、その後も森林の保水力に関して共同検証も実施された。このような大規模な住民討論集会は、なぜ実現されたのだろうか。また、住民討論集会では何がどのように問題とされたのだろうか。
 まずはじめに、この住民討論集会がなぜ実現したのかを考えるとき、直接のきっかけは、『球磨川の治水と川辺川』(川辺川研究会)の公表だろう。国土交通省のデータを使ってダムは要らないという結論が出されていることを踏まえて、潮谷熊本県知事は、「オープンかつ冷静に議論する場が必要である」として、住民討論集会を実現させた。
 もちろん、第二に、熊本県知事が潮谷知事だったからこそ実現したことは間違いない。他の知事だったら実現しなかったことは明らかであろう。潮谷知事の存在は大きいが、それだけで住民討論集会が実現できたわけではない。2001年球磨川流域の人吉市と坂本村で住民投票実施を求めて、条例制定の署名が行われた。したがって第三に、議会では住民投票条例は可決に至らなかったが、人吉市では半数以上の有権者が住民投票実施を求めたことも、大きな影響を与えた。第四に、球磨川漁協が、2001年総代会で漁業補償案を否決し、さらに同年11月には臨時総会でも否決した。以上のことが背景となって、潮谷知事が住民討論集会の開催を求めた。
 住民討論集会開催の背景は、川辺川ダム反対運動が協力であることを示している。しかし、川辺川ダム反対運動は、上流の水没地域におけるダム反対運動が終息した後になって
本来はダム建設の受益地位であるはずの中流・下流地域を中心に組織されている。中・下流地域におけるダム反対運動が強力な理由はどこにあるのだろうか。
 法律上の権利を考えると、水没予定地のダム反対運動は、財産権があり、ダムが建設されたら生活の権利さえ奪われるので、ダム反対のための強力な権限を持っていることになる。しかし、ダム建設の手続きを詳細に見ると、水没地域のダム反対運動が意見を表明する時期はかなり限定されている。その手続き、ダム調査、県議会の同意、ダム基本計画の告示、河川予定地指定、補償交渉、本体工事のなかで、水没地域におけるダム反対運動が意見を表明できるのは、最初のダム調査に際してであり、ダム調査を拒否することで実質的に発言することができる。さらに、河川予定地に指定されると、水没予定地に新しく家を建設できなくなるなど生活が制約されることになる。水没予定地の住民は、財産権を持つゆえに、ダム反対の強力な根拠を持っていることになるが、同時に権利を持っているゆえに、条件闘争に転じて補償交渉に鞍替えすることもできる。この段階では、ダム反対運動は、絶対反対派と条件付賛成派に分裂して、多くの地域ではコミュニティの破壊が進行する。
 これに対して、ダム建設予定地の下流域では、ダム反対運動は通常、財産権の侵害がないゆえに、力を持っていない。実はこの点に、川辺川ダム反対運動と他の地域におけるダム反対運動との違いがある。川辺川流域では、ダム建設に関連する権利を有していながらダム計画に反対している人びとがいる。
 ひとつは球磨川漁協がダム建設に同意していないために、ダム事業者は本体工事に着手できない。もうひとつは、ダム建設によって農業用水の供給を受けることになる農家が川辺川ダム計画に反対している。一般的にいうとダムからの利水としては、水道用水や工業用水、農業用水などがあり、利水関係者がダム計画に意見を表明するとしても、利水の方法によって違いがある。川辺川ダム計画の場合、ダムから供給される農業用水の料金やそれに伴う負担金が高額であれば、農業を維持できないとして、水道用水供給の場合と比べて、農家からの反発が強力であった。本来はダム計画の受益者であるはずの農家がダム計画に反対の立場に転じて、ダム計画の目的のひとつ、利水が必要ないと表明しているわけである。ダム計画に関する利害関係者である球磨川漁協と下流地域の農家が、ダム計画に反対しているゆえに、川辺川ダム計画が阻止されているのである。
 また中・下流地域の住民が川辺川ダム計画に反対している。通常ダム予定地の下流地域は、ダム建設により洪水が防止されるので、ダム計画の受益地であるはずだが、その住民が反対している。これまで球磨川流域に建設されたダムの経験からダムが洪水対策に役に立たないどころか洪水被害を大きくすると広く信じられていること、ダム建設が河川環境に悪影響を与える経験が蓄積されているなどの理由で、中・下流地域の住民は潜在的にはダムに反対であった。川辺川ダム反対運動は、潜在的なダム反対の意識を顕在化させ下流地域がダムの受益地ではなく被害地であると、認識の転換に成功し、ダム反対の漁民や農家をサポートしている。これが、川辺川ダム反対運動が強力な理由であり、住民討論集会開催の背景である。

2 住民討論集会では何がどのように問題とされたのか。

 住民討論集会は「対論形式」と呼ばれる「対決型討論」で実施された。討論は「形式」によって「内容」が規定される。「対決型討論」という形式は討論の内容にどのような影響を与えたのか。また、川辺川ダム反対運動の中で、しばしば「住民が決定する」という主張と「科学的に正しい判断が必要だ」という主張を耳にするが、「対決型討論」という形式が、この二つの主張の関係にどのような影響を与えるかを考えてみたい。
 住民討論集会は、熊本県をコーディネーターとして、ダム事業者の国土交通省とダム反対派がオープンに討論を重ねる場として設定された。オープンの討論の場に国土交通省が出てきたことは、ダム計画の合意形成にとってプラスであろう。ただ、ダム事業者とダム反対派が討論をおこなって、誰がどのような基準にもとづいて結果を判断するのか、この点がはっきりしないまま討論集会は始まった。
最初の頃の基本高水流量問題を扱うとき、以下のようなやり取りがあった。ダム反対側は、川辺川研究会が毎秒7000トン、国土問題研究会の方が毎秒6000トン、水源連が毎秒6150トンと言う形でばらばらだった。そのときに、国土交通省の方からどうしてばらばらなのかと言う議論があって、ばらばらではおかしいということでダム反対派は最終的に見解を統一することになった。
このとき「最下流の八代地区ではダムがなくても河川改修すれば、八代で毎秒9000トンの水が流れるから、それを考えたらダム計画そのものは費用対効果で1を切る。だからその一点で、ダム計画に妥当性はない」とダム反対派が主張たが、熊本県は、それはそうだけれども基本高水が大切だから、それを最初に決めるということは大切だという姿勢であった。
このやり取りを聞いていて、熊本県としては、それにもとづいて河川管理の問題には科学的根拠があって確固たる判断ができるので、推進派と反対派を議論させて、何が確固とした科学的根拠なのかを判断したいとかんがえていたのではないかと推測した。
ただ反対側の人にもいろいろな考え方の人がいて、基本高水流量は、科学的に決めるようなものではなく、政治的に住民が決めたらいいというような考えもあった。これに対して国土交通省は河川を管理する以上は確固とした根拠から基本高水を決めなくてはならないという立場だった。そして熊本県も、同じような立場で、討論して得られる科学的根拠の上に立ってダム計画の妥当性を判断できるものだと考えていたのではないだろうか。「対決型討論」としての住民討論集会こういったコンセプトの元に作られた討論会だった。
しかし、反対派、賛成派両方の議論が進み、じゃあどっちが正しいのか、どっちの学説が正しいのかということを判断することは簡単ではないということがはっきりしてきた。さらに森林の保水力についても、国土交通省は学会での定説を持ち出し、反対派は学会の定説はこうでも、それは古いと主張した。結局どっちが正しいのか、どういう基準で誰が判断するのかという問題にいつも行き着くことになった。これは「対決型討論」という形式の討論会というのを設定して時点で、こういう形になってしまうということは危惧されることであった。
第6回目「環境」というテーマに変わった時、コーディネーターの熊本県は、「市房ダムでこうだからといって川辺川でこうなるとはわからない。市房ダムと川辺川ダムはこういう共通点があるから川辺川ダムでもこうなるという風な議論が科学的な議論である」と釘を刺して、そに関連してダム反対派側の学者から、「将来どうなるかいう蓋然判断は出来るがそもそも必然判断はそもそも出来ない」となった発言があった。コーディネーターの鎌倉氏は、「自然条件とか環境条件は100%の判断を人間は出来ないといって、具体的妥当なところで判断をしたい」と発言した。流域全体としてどのくらいの影響があるのか、確実なことがはっきりしないところで科学的データにもとづいて議論をしなくてはならないということがだんだんわかり始めた。討論することによって科学的な判断が出来るという最初の設定は変わった。
国土交通省は今まで多く説明会を開いてきた。科学的妥当性に基づいてダムを作っているが、それに対して疑問があれば、それは誤解であり、きちんと理解していただければ納得してもらえるという形式だった。これは通常、説明責任を果たすための「説明会」と呼ばれる形式であり、科学的・技術的合理性に基づいてダム計画を立案するという前提に立っている。
これに対して、熊本県がやり始めた討論集会は「対決型討論」形式であり、討論をしながら、どっちが科学的に正しいのか判断しようという試みだった。普通は学会で、レフリー制度を通じて科学的・技術的妥当性が判断されるようなことを、賛成の人と反対の人が討論して、熊本県が判断する形で実施したのである。森林保水力の共同検証も、共同で調査をしたら、確実で共通の判断が出来るのではといった同じような発想での試みだった。
実は、科学的合理性というのは、非常に限られたレベルで正しいといえても、条件が変わるとそうは言えなくなる。例えば、水は100度になると沸騰する。当たり前といえるが
ひとつの条件でも違うと結果が変わる。ダム建設の影響とか、ダム建設によって水質がどのくらい変化するかなどは、条件がいっぱいありすぎて確実なことが言えない。ダムを建設して、海にどのような影響が起きるかについては確実なことは言えない。下流に人がたくさん住んでいるから、埋め立ての影響があるなど他の要因もあるからである。ダム造っても水質に影響ないという主張にしても、ある条件ではそうでも別の条件を考えるとそうではないという具合に、これも確実であるとは言えない。
科学技術に関係するようなことで決めることに関しては、科学的根拠を持ってダムを造ると主張しているが実際には、科学的にはっきりしない不確実ものが多くあり、必然判断はもたらさない。不確実がある中で決定して判断しなくてはいけないのである。したがって、科学的に正しいからこういう判断をするのではなく、そこに住んでいる人が不確実情報を前提として、決定するしかないのではないかということがある。
今回の住民討論集会とか9回に全部聴いた人が、全然知識がなかった人がどういう風になったのかに興味がある。ダムについて賛成の人と懐疑的な人とか、そうではない人がいるような場所で話しあうような制度設計をした場合に、どっちが正しいのか判断をしていくとともに不確実なものがある中で判断していくというような制度設計が必要なのではと思う。賛成の人はずっと賛成なのではなくまた反対の人がずっと反対なのではなく話を聞く中で、思いが変わって判断をするということが多く報告されている。
どういった討論の場を作るかということで、討論の内容が決まってくる。住民討論集会を今後どういった方法にしていくか県がどういう姿勢なのかわからないが、対決型討論っ形式の討論集会ではない討論の制度設計があるのではないか。討論集会で得られた知識を元に、別の討論形式の場を構築することで、不確実な情報を元にして、合意形成を図り、住民が決定していく制度を、球磨川流域で実現していくことが重要ではないだろうか。


質疑応答論点
参加者
住民討論集会の対論形式のやり方で、問題があると。別の形であれば、途中でうまいこと合意形成が出来る形になったのかどうか。
木原
対論形式のやり方で国土交通省は、ダムが必要だという結果を示した。それに対して、多くの質問があり9回の住民討論集会で国土交通省が科学的ではないということがわかった。やっぱり不確実なことがいっぱいある。賛成派も反対派も質問し合えばお互いにぼろが出てくる。どっちの主張も必ずしもパーフェクトではない。そういった状況でじゃあどうするのかと言うことを話し合っていかなければいけないという風に思う。
県が判断するのか、県は調整するだけなのか、コーディネーターといっているがその位置関係はそれがよくわからない。利水問題に関しては独自の案を出すなどしているが、国土交通省の件に関しては非常に慎重になっている。
県は住民討論集会を設けることによって、国土交通省に一度住民に説明をしなさいという場を作った。同時に反対住民側にも、国土交通省とまでは行かなくても、説明をしなさいという立場であった。




参加者
川辺川ダムの件については、実質国土交通省側の主張は1回負けている。住民討論集会が、そこまで至った経緯に影響した力があったのかどうか。外からの視点ではどう評価できるのか。

蔵治
住民討論集会は下流の権利を持つ漁民だとか、水利権者に非常に大きな希望を与えたという点については、大きな影響力を持ったといえるのでは。

高橋ユリカ
補足。収用委員会ということが出てきていない。このことは非常に重要。この二つは時期がかぶっている。県知事は強制収用するということに知事は非常に敏感に反応している。
精神的なものだけではなく、住民討論集会と強制収用の収用委員会とは非常に有機的に繋がっている。お互いの委員は、お互いの委員会の動向を非常に気にしていた。住民討論集会の結果が出るまで結論を遅らせたいという発言まであった。このことを見落としたら見誤る。

村上
政治学は、英語で言うとpolitical scienceという。今日の話を聞いていて、われわれ技術者から見て非常に科学的だという印象。こういう経過は科学として非常に論理が通っている。
問題があって裁判があって、被告があって誰かが判断して。アメリカでは裁判官ではなく陪審員が判断する。ここでは裁判官ではなく、陪審員の住民が判断するというというような風に聞こえた。これはひとつの表現ではあるが。このことはいままですべての責任を、お上が取ってくれるという形だった。これまではお上が責任を取るので我々には責任はないという形だった。そういうのが変わらざるを得ないということなのではないだろうか。

木原
責任を負うのは住民でなく国なわけだから、決めるのは国でいいと言う。基本的にそういう考えですね。で住民が決めるということでどういう風になるのかと言うこと。自治体が決めたことが住民が決めたことなのか、どうやって決めるのかと言うこと、決め方の問題が非常に大きな問題になってくるという風に思う。
声としては、市町村は選挙で選ぶけれども、ダム問題に関しては、必ずしも住民の意思を反映していないだとか、住民投票という形で住民の意思は反映できるのかと言うことなど。住民投票もイエスorノーだから少しシンプルすぎる。選挙でもなく、住民投票でもなくどういった形で合意形成を図っていくのかということが非常に重要。どういった形で住民の意思であるといったことにするのかということが非常に重要。

村上
それはこういった形での研究会などが、多く開かれることも一つの策では。

参加者
そうなると責任の所在がどこに行くのかということが問題になる。今は本当にあやふや。

蔵治
誰が責任を取るのかという議は、青の革命研究会でも活発に議論されている。多摩川の水害訴訟で国が責任を取ったことがある。国家賠償法という形。今現在の解釈で言うと、国民が責任を取ることはありえない。
そういう問題がある上で合意形成をしていかなくてはならないという背景があることを前提していかなくてはならない。
コメントとして。
科学技術は進歩しているが、きわめて不確実性の高いもの。このことを科学者は常識として知っているが、科学者ではない人は知らない。ダムに象徴されるように、不確実性の幅があった上で責任をとる側の国が決めてきている。このことが住民討論集会ででてきているのでは。どんなに科学が進歩しても、不確実性が下がることはあっても0になることはありえない。社会的な合意をとった意思決定をする時に、どういう判断をすればいいのか。
また住民も確実なものではない。典型的な事例として、一昨年福井県で大洪水が起こった流域に賛否両論のダム計画があった。ダム計画について議論している最中に洪水があり、その後の流域委員会では、住民側が満場一致でダムを作るという選択肢になった。
昔の川と密着して暮らしていた人は、経験的な知恵と知識、能力が高い。今現在この能力は失われていて、今の世代の人々は川に関しての付き合いが薄い。国が遠ざけたということと、自ら遠ざかっていたという両面があるが、そのような世代が川についてのジャッジを行うことは、国側は非常に不安。
科学は不確実、住民も不確実という現状をふまえた上での何らかの検討が必要だろうと思う。

参加者
すでに法律にあるものがある。それは漁協と農家。2/3の同意がなければ出来ないと法律に明記してある。水協法と土地改良法。それを十分参考にしてはどうか。
流域に関わる当事者の定義は難しいが、そこの人の2/3の同意が得られないとダムは作ってはならないという法律を。そういう風にするべきだと。
科学で100%はありえない。流域に住む人の生命財産を守るということだから、そこに住む人の判断が一番。どんなに川から遠ざかろうとも、川の近くに住んでいる人が大事。

木原
基本高水を決めて一元的に管理するという考え方ではなく、水害被害者の方の聞き取りや、川漁師さんや海の漁師さんの話を取り入れながら、川と付き合っていくというものは、対極にある。


参加者
法律的なもので、何らかの形で新しい形がひつようなのではないかと思う。

蔵治
やはり、川は誰のものかと言う議論がある。
今現在、日本の川は○○権者のもの。法体系もそうであり、それ以外の人はまるで関心がないという。そうなってしまったらもうどうしようもない。球磨川流域は今現在そうではなく、そういった意味では先進地域ではないか。

木原
70年代とか80年代とかは、漁師・ラフトとか利害関係があるような人たちだけが反対運動の主体だった。同時に利害関係がある人、この工事によって幾ら儲かるとかという人たちが工事に賛成していた。その内部の利害関係とかはある

参加者
その問題はかなりの度合いで過去に解決している。そう危惧しなくてもよいのでは。


高橋ユリカ
国土交通省があまりに古い科学によっていることが問題。きちっと先端の科学、論拠によっていただくと、そう問題にならないのでは。

木原
アカデミズムの中の科学を、あまりに複雑な政策の中に持ち込めるのかという疑問が大きい。

村上
科学と技術がどう違うのかと言う議論になってしまう。この問題今日は時間もあるから、そこまではいたらない。
今日の最初の発表にもあったが、霞提はローテクか。そうではない。私はシンプルテクノロジーと呼んでいる。海外からエンジニアがいらして日本の土木技術を説明するときに使う。日本の技術はすばらしい。ハイとかローではない。熊本には加藤清正もいる。永遠に残る技術であるのでは。

参加者
「責任を取れないから住民がいい加減」と言うことに関して。
国家と言うのは住民の集まり。住民は最終的にきちんと税金という形で責任は取っている。国土交通省が、責任を取らないいい加減な住民と言う前に、いかに国土交通省がいい加減なデータを出してきたか。そこが問題。利水でも、裁判で負けた。国会でも洪水で何人死んだというが、実際に洪水で死んだのは一人だけだった。東京でそういう話になると現状を知らないから信じてしまう。問題では。

蔵治
今現在日本の税制は国に全部税金を払うという形になっている。アメリカでは自分の好きな団体に、半分税金を治めることが出来る。そうすると好きな団体がいろんなことをやっていて、国が何をやっているのかをチェックしている。税金をもらっている以上きちんとしている。それで国が正しいことをしているのかを見極めるようになっている。日本だとダムに反対している団体に税金がいくわけではなく国がしていることにまるでチェックする方法がない。そこがアメリカと比較した場合に重大な問題では。

以上
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