・第15回研究会
2006年9月02日の記録

コメントの詳細

15回研究会の記録トップへ
コメンテーター
村上稔  徳島市議会議員
吉田益子 徳島県議会議員
豊岡和美 徳島県議会議員

コメント(速記録)
      コメントに関し、修正等がありましたら当ページ管理人までご連絡下さい。

村上稔
私も流域組長の意見を聞く会を傍聴する機会があった。主観的な感想で申し訳ないのだが陳情型そのものの形式であった。まずは意見を聞いてありがとうございましたという形で始まった。今本さんの話で、淀川の河川管理者気が狂ったのではとの話があった。国土交通省は基本的には何かを作るということが仕事。作らないという選択肢もありえるような手法を採ったということは、言葉は悪いが、狂っている、ありえないことを当時の担当がやったと思っている。
我々の考え方自体を根本的に変えなければいけないのではないかと考えている。
住民投票などをやってきたのだが、私たちは自治、自分たちが決めたいということであった。国土交通省のほうは、住民参加であり自治ではない、という。国防や、責任問題があるから、自治ではないということとしている。そういう枠組みである。
改正河川法で住民参加が盛り込まれたことはもちろん評価はしているが、決して満足なものではない。考え方の原理が違う。本当に求められているのは住民自治でないかと思う。
我々の住む吉野川では自分たちで行う。自分たちで出来るものはやって、自分たちで出来ないのは県に県が出来ないものは国へ。決して陳情ではなく、地方自治の考え方として出来ないことは補完してもらうといった、対等な立場で行うことが大切なのでは。
淀川の話を聞いていて、どこかで個人プレーに頼らざるを得ないものを感じる。理解のある人がいたのかいなかったのかという差があったのではないかと考えている。
自治はどこがするのかということではやはり、自治体でしかない。
行政や専門家といわれる方たちが行うことと、毎日そこに暮らしている人たちの経験などから得られるもののどちらが、平川先生がおっしゃったような、よりよい結論をもたらすのかと言うことに関しては、今本先生がおっしゃったような「水害で人を死なせてはならない」という原則に関しては自治こそが信頼に足りうるものだと思っている。環境に対しても自治というものこそがよく知っていて生かされるのではないかと考えている。
少し思った形ではなくても、多様性のあるものが結論として得られるのではないかと考える。そういうところから環境とか川文化とか豊かさとか安全といったものが生まれるのだと思う。結論として、吉野川でどう充実していくのかということと、今の枠組みのなかで限界があるのではないかという事を二つのテーマとしてこれから活動してくことが大事だと考えている。

吉田益子
淀川、流域委員会、奇跡的なものが実現したのは、河川管理者の努力、流域委員の意欲など人によったものだなという印象をうけた。その個人も生まれ持った資質というのも確かにあるが、人を育てるのは自然環境ではないかと思う。教育論になってしまうかもわからないが、豊かな自然環境を残したり復元したりする大事さを改めて考えながら聞いていた。
流域委員会の最終判断を河川管理者ということではあった。
これからの流域の意見を聞く会のやり方をよりよい議論の場に変えていくということ、専門の部会を作っていくなど、まだまだ、淀川の流域委員会に近づいて越えられる機会がなくなったというわけではないということを感じた。コモンズの方たちも来ているということも大きな希望であると思う。
マクガバンの誤謬の話しなどは、自分の位置を見れ、参考になった。
行政は、納税者のお金を使っているのだから、住民意見を聞くのが当然だと思っていた。近い立場になってよく分かったのですが、行政は、法律で書いてあることでしか動かないということを実感している。行政をよく知ることが必要だという観点からも非常に参考になった。吉野川の問題だけでなくゴミ問題もやっており、先日滋賀県立大学の教授に行政文化ということで、学術的にまとめていただいた。行政には上の言うことを聞くとか、専門主義であるとか、単純化の特性であるとか、少しずつしか変わらないという特徴だがある。手段先行型目標設定だとか、目標があって政策があって予算を取ってこようという職員はまれであるというということや、連続性がないといういろんな特性があったうえ、お付き合いしてかなくてはならないという面からも、平川先生の話は非常に参考になった。

豊岡和美
淀川流域委員会の素晴らしさを知るにつけ、多くの絶望があった、それと希望を少し。
流域委員会のあり方は、地域特性、人材によって偏ってしまうということ。淀川はいいなと同時に絶望を。ワークショップ方式では、いくら意見が出ても集約して抽象化してしまう、一般化してしまう。吉野川について気をつけなくてはならないという大きな問題点だという警戒感を強めた。地図上に落とし具体的にやっていくということ、大変参考になった。市民がこれをやるということについて、かなりの努力を要するのだなと。市民がやるということの限界と言うことでも絶望を。河川行政については、政治モデルと合意モデルの間だろうと思っていたが、計画モデルと政治モデルの間だということで驚いた。
行政の側からみた市民というのを行政からみたらどこの位置にいるのかということを意識しなくてはいつまでたっても、合意形成に入っていけないということについて意識が出来た。みんなのためによいということについては、合意をせざるを得ないだろうということで、ほとんどの市民が、よいということが出来るというような意見を作っていかなくてはならないということと、行政に聞いてもらえるような形で提案をしていかなければならないと思いました。ネックになると思っていた環境と治水と言うことを意識しながら聞いていたのだが、環境先行でということを聞いて希望をもった。提言していくことが地方の議員の役割だということで大変希望をもてた。


<質疑応答>
吉村
警戒しなくてはならないと受けとめられたが、警戒しなさいよといったわけでなく、意見というレベルではそうやって集約せざるを得ない。ただそれだけでは川が、本当によくなることに繋がるとは思えないので、具体的に皆で楽しくやっていく方法もあるのではと思いプログラムを組んでやっている。そう思って提案させていただいた。

蔵治
もともと全国から吉野川流域は注目されていたが、この局面でさらに吉野川の今後を注目してみている。全国の研究者、行政の人、国交省の方々と交流をする機会があるが、皆試金石として注目されている。残りの50数河川に影響を与えることが予想される。

青の革命と水のガバナンス第15回研究会 トップへ
青の革命と水のガバナンス トップへ