○ 安直な神話におもねることなく
エコとか地球にやさしい言葉が氾濫しています。愛地球博のおかげで「自然」「環境」「学習」に異議を唱えるのは国賊、県賊あつかい? 我こそは環境博覧会の正統な継承者だ!なーんちゃって????争ったりして????こうなるともう「自然」「環境」「学習」は三種の神器だね。このてのシンポや意見が氾濫していますが、この言葉は使う人によって意味や対象がぜんぜん違っていることが多く、それを放置したご都合主義の意見交換では齟齬が拡大し、お互いの行動に矛盾がおきてしまったりしているような気がしませんか。第4分科会では、こういう便利言葉を易々と使わないように、お互いの体験に根ざした交感がしたいと思います。かなり困難ではありますが・・・
○ 流域の 山・川・里・海 産・官・学・民
グローバリゼーション(実はこの言葉も正体不明なところがありますが)が私たち1100万人が暮らすこの流域の 本来当たり前にいたはずの、たとえばアサリやシジミ、ハマグリの流通をおかしくしている、ようです。 生活者基点で、生き物だけでなく水、経済、社会、文化 さまざまな循環(これも怪しい言葉ではありますが)を目指して 流域の市民(これも怪しい)が呼びかけを始めています。
○ 現場・原体験
美しい村運動というのがドイツ方面にあると紹介されています。そのココロは、たとえば、農家民泊(ベット&ブレックファースト)のおもてなしは、味わい、香り、音、手触り、ぬくもり、いたわり、いとおしさ、そういうお仕着せでない、地の底からわきあがるものが大切で、住民ひとりひとり、特に農家の主婦が自身と誇りをもつ、それが真の美しさ だというんですね、さすが生真面目なドイツ系???この分科会、なにかの因縁で集った仲間、3時間です。現場のワーカーによる原体験の掘り起こしを縁起として、「いのち」と「つながり」を再確認する場になればと思います。
○ (博物)館
過去の歴史的経緯から、個人の尊厳があまりにも阻害されていた反動で個人の自由のために共有地も共有智も解体されてしまった(この表現こそ怪しいですが)のかもしれません。コモンズの悲劇を制御する掟と役割分担もいっしょに失いかけている(これも怪しい表現)いかにして、自分たちの居場所として共有地的なものを再構築するか、将来のこどもたちのために、いかにして共有智を継承するか語り合いませんか。
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