川を流域住民が取りもどすための全国シンポジウム 
徳島大学蔵本キャンパス 大塚講堂
 2007年8月11日 14:20〜15:20 
 全国川マップ「いま日本の川で何が起こっているのか」
 資料(抜粋)
※引用、リンク、コピー、転載等の際には蔵治までご連絡頂き、許可をおとりください。
 

全国川マップ
  いま日本の川で何が起こっているのか
 
構成
  1.川の112年間の歴史を振り返る
2.全国の川はいまどうなっているのか
3.北から南へ 全国川めぐり
 
1.川の112年間の歴史を振り返る
  治水三法から脱・脱ダム宣言、淀川水系流域委員会再開まで
 
1896(明治29)年 河川法制定
  翌1897年に制定された砂防法、森林法とともに「治水三法」と呼ばれる
河川を「河川法適用区間」と「河川法準用区間」に分け
適用区間については内務省によって直轄管理を行い、準用区間については各都道府県知事が管理を行うというものであった
1896年とは
  前年に日清戦争が終結
第2次伊藤内閣から第2次松方内閣へ移行
人口4,200万人
   現在(1億2,800万)の3分の1以下、「日本で生産可能な食料に見合った人口」に近い
人口増加率 9.7
   現在は、マイナス0.2
1896年とは (2)
   水田 277万ヘクタール
  現在は255万ヘクタールのうち稲作作付面積170万ヘクタール 4割減
米の生産高 544万トン
  現在は779万トン 1.4倍増
養蚕が盛ん
  現在の桑畑の面積は当時の2%に、生産高は7%に減少
1896〜1905年 (110−100年前)
  1901年 矢作川に近代的農業用水取水施設として明治用水頭首工完成、翌年、漁民は矢作川漁協を組織
1903年 デ・レイケ30年間の日本滞在に終止符を打ち帰国
1903年 南郷洗堰(現瀬田川洗堰)完成
1903年 渡良瀬川鉱毒を受け谷中村を貯水池にする案が浮上、廃村、強制収用へ
1906〜1915年 (100−90年前)
  ハゲ山への植林
   日本三大ハゲ山県=滋賀県、岡山県、愛知県
日本が最初に「資源」と認識したのは、水力発電
1909年 逓信省に電気局を設置
1910〜13年 第1次発電水力調査
1911年 電気事業法
1912年 木曽三川分流工事完成
1916〜1925年 (90−80年前)
   1918〜22年 第2次発電水力調査
1924年 木曽川大井ダム
  堤高が50mを超えた日本初のダム
1924年 大淀川轟ダム
   上流の水害の原因となり1961年撤去
1930年 庄川小牧ダム 堤高79.2m
   漁業権者、流木権者、水利権者と電気事業者の利害衝突
   補償として放流、魚道、木材輸送
1926〜1935年 (80−70年前)
  1926年 物部長穂「河水統制計画」案
   水系一貫治水・利水開発を提唱
1927年 信濃川大河津分水完成
1930年 逓信省、水力発電の全国統制をねらい「発電水利法」制定諮問
   河川法による治水利水統制の継続を望む内務省につぶされる
1933〜36年 ため池の渇水とハゲ山植林の因果関係を巡り森林は有益なのか有害なのか専門家同士が激しく論争
1936〜1945年 (70−60年前)
  1937〜41年 第3次発電水力調査
1940年 内務省は奥入瀬川・浅瀬石川・鬼怒川・江戸川・相模川・錦川・小丸川において河水統制事業を実施
1943年 26号台風
   斐伊川、太田川、重信川、肱川で既往最大洪水
1946〜1955年 (60−50年前)
 
1947年 カスリン台風
   北上川、鳴瀬川、雄物川、子吉川、利根川で既往最大洪水
1949年 水防法 1952年 電源開発促進法
1953年 筑後川水害、夜明ダム建設中に決壊
   この水害をきっかけとして松原ダム・下筌ダム計画、翌年反対運動(のちの蜂の巣城紛争)勃発
1954年 治山治水基本対策要綱策定
1955年 耳川上椎葉ダム、木曽川丸山ダムが堤高100m級のダムとして完成
1956〜1965年 (50−40年前)
   1956年 天竜川佐久間ダム
   当時世界10位の堤高、総貯水量3億268万m3
   現在、1億2700万m3の土砂が堆積
1956年 工業用水法 
1957年 水道法
  地下水くみ上げによる地盤沈下 
1957年 特定多目的ダム法
1958年 水防法改正
  従来の水防組織は水防事務組合に移行、水共同体の崩壊加速、川を住民から遠ざけた
1959年 伊勢湾台風
  雲出川、櫛田川、淀川、紀ノ川、新宮川で既往最大洪水
1960年 治山治水緊急措置法
1956〜1965年 (2)
 
1961年 世界銀行融資で愛知用水完成
  水資源開発促進法成立、水資源開発公団発足、利根川、淀川を「水資源開発水系」に指定し「水資源開発基本計画」(フルプラン)を策定、その後全7水系を指定
1963年 堤高186mの黒部第四ダム完成
1961〜64年 東京渇水(東京砂漠)
  矢木沢ダムと武蔵水路を建設しオリンピックに対応
1964年 河川法改正
    治水と利水との体系的な制度の整備、区間主義の河川管理制度から水系一貫の管理制度へ、一級河川は国、二級河川は都道府県知事、準用河川は市町村長が管理
1966〜1975年 (40−30年前)
  1966−67年 加治川の同じ場所で2年連続破堤、日本初の水害訴訟提訴
1967年 公害対策基本法
1970年 水質汚濁防止法
   翌年、矢作川沿岸水質保全対策協議会(矢水協)が特に悪質な三業者を同法で告発
1972年 大阪府大東市寝屋川支川谷田川で水害
1972〜1980年代 河川整備の遅れを理由とした水害裁判が全国で提起され、国が敗訴しつづけた
1974年 多摩川水害
1966〜1975年 (2)
  1972年 高度経済成長の終焉、水道・工業用水の伸びが止まる
1973−74年 基本高水の集中的な引き上げ
1973年 水源地域対策特別措置法
1975年、吉野川早明浦ダム、四国四県の水がめとして完成
   水が枯れやすく渇水報道のシンボルに。流域の人工林率が高いことが原因か
1976〜1985年 (30−20年前)
  1976年 河川砂防技術基準(案)改定、1958年版にあった「最小経費原則」を削除
1977年 河川審議会「総合的な治水対策の推進方策はいかにあるべきか」答申
1977年 第三次全国総合開発計画(三全総)「流域定住圏構想」
1982年 長崎豪雨、時間雨量日本記録187mm
1976〜1985年 (2)
  1984年 大東水害訴訟最高裁判決
   国家賠償法2条1項「瑕疵」、「通常有すべき安全性」について、河川は自然公物だからリスクは避けられず、予算がない場合は水害になっても仕方がない、受忍し、自己負担せよという論理
  河川の専門家としての河川工学者の優越性を認定
  学識者の証人に対して、原告側の証人の専門が「河川水理学」ではないから専門家とはいえないと判断し、証言の信用性を低く評価
1985年 加治川水害訴訟最高裁判決も大東水害訴訟判決を踏襲
   以降、原告は多摩川を除きすべて敗訴
1986〜1995年 (20−10年前)
  1989年 大井川水返せ運動
   静岡県知事の要求により、塩郷堰堤から5トンの水が川に流される
1991年 排砂ゲートを備えた黒部川出し平ダムで初回排砂実施
   ヘドロ状の泥が黒部川、富山湾に流れ込み深刻な漁業被害
1991年 多自然型川づくりの試行
1992年 多摩川水害訴訟、高裁での差し戻し審議での敗訴で決着
   多摩川の水害は予見可能であり、かつ回避可能であり、国の河川管理瑕疵が認定された
1986〜1995年 (2)
  1993年 米国開墾局ビアード総裁、新規ダム中止宣言
1993年 環境基本法
1994年 環境基本計画策定、平六渇水
1995年、長良川河口堰、大規模な反対運動を押し切って完成
1995年 ダム等事業審議委員会(ダム審)設置
   有識者等による第三者機関、14のダム等事業について議論、矢作川河口堰、渡良瀬遊水地2期以外は継続
   お墨付き機関だという批判を受ける
1996〜2006年 (10年前−いま)
  1996年 那賀川細川内ダム計画、木頭村の反対で計画中止
   以後、大規模ダム事業の中止が急増
1997年 河川法改正
   生物の生態系への配慮や、健全な水循環系の確保、河川と地域との関係の見直し
  川が住民に戻ってくるという淡い期待
2000年 関東最大の多目的ダムである相模川の宮ヶ瀬ダム完成
  これ以降横浜市水道局の将来需要予測は右肩下がりに
1996〜2006年 (2)
   2000年 徳島市で吉野川第十堰の住民投票
2001年 長野県知事、脱ダム宣言
2002年 熊本県知事が球磨川の県営荒瀬ダムを水利権失効後に解体・撤去する方針を表明
2003年 紀ノ川大滝ダム試験湛水中に地べり発生
2003年 淀川水系流域委員会、ダム原則中止を提言
   河川法改正の理念が実現に向かって動き出した、川が住民の手に戻ってきたかもしれない、という希望を与える
1996〜2006年 (3)
   2003年 川辺川利水訴訟控訴審で事業違法判決
2004年 台風が10個上陸、日雨量日本記録更新
2006年 揖斐川に日本最大級の多目的ダム、徳山ダムほぼ完成、試験湛水開始
2006年 川内川鶴田ダムが未曾有の豪雨に襲われ緊急放流、ダム対岸の山が崩壊、下流で水害
2007年 淀川水系流域委員会休止、吉野川、利根川、木曽川で新方式の河川整備計画策定開始
   川は住民から遠ざけられていくのか
  
2.全国の川はいまどうなっているのか
  7つの課題
治水・水防・水資源・発電・環境・流域・人間
  
治水
   豪雨の増大
治水ダムの限界
堤防の強化 スーパー堤防
河道掘削 狭窄部の開削
引堤
遊水池
総合治水、流域治水
ことばの正確な意味
   「洪水」とは
   単に川の水量が増大すること。越流・浸水しなくても、被害が皆無でも、すべて「洪水」
「洪水」と「水害」は違う
   嘉田由紀子さん曰く 「洪水は自然現象、水害は社会現象」
「洪水」 を軽減しようとすることを「治水」という
「水害」を軽減しようとするには、「治水」だけでは限界があり、「水防」などが必要になる
水害・水防
  ハザードマップ
水防組織・訓練 土のう 畳堤
内水排水ポンプ
都市計画、まちづくりとの連携
無関心で安心しきっている
役所まかせ
水害の損害賠償
水害保険
水資源
  農業用水
工業用水
水道用水
水余り
水不足 渇水
地下水利用
水利権転用 水バンク
民営化 フルコスト・プライシング
水力発電
  ダム老朽化
ダム堆砂
水なし川 (長距離導水)
水利権更新
揚水発電ダム
ダム撤去
エネルギー政策の中の位置づけ
環境
  流量減少 河口閉塞 断流
横断構造物による流れの分断 ダム撤去
水質汚濁 濁水長期化
外来種
自然再生 多自然(型)川づくり 近自然工法
環境漁協宣言
既存ダムの運用見直し
河川維持用水
流域 
  森林 緑のダム 放置人工林 流木
水田 耕作放棄
ため池
遊水池
総合治水 雨水貯留 雨水浸透マス 透水性舗装
流域治水
沿岸域 干潟 海岸侵食
川と人
  河川計画 住民意見の反映、合意形成
無関心
地方分権 自治
縦割り行政
専門家の役割 御用学者
川文化の喪失
上下流交流 流域連携
絶滅危惧種 「川ガキ」
 
3.北から南へ 全国川めぐり
参加者の皆様に川のいまの姿を語っていただきます
発表のあった川
沙流川 
天塩川 
最上小国川
利根川 
島々谷川
黒部川 
豊川 
庄内川・新川 
木曽川
亀尾島川
揖斐川 
淀川 
桂川 
紀伊丹生川 
武庫川
吉野川 
城原川 
球磨川
 
製作
  (独)日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト研究事業
  「青の革命と水のガバナンス」研究グループ
  蔵治光一郎・溝口隼平
 
引用・参考文献
  1.川の112年間の歴史を振り返る
        高橋裕(1964)洪水論、博士論文
        宮村忠(1985)水害−治水と水防の知恵、中公新書
        蔵治光一郎(2001) 通商産業省による流量観測90年の歩み,水文・水資源学会誌14: 83-89 など
  2.全国の川はいまどうなっているのか
        蔵治光一郎編(2007)水をめぐるガバナンス、東信堂、12月出版予定 など
  3.北から南へ 全国川めぐり
        各河川の河川整備基本方針、フルプラン、流域委員会議事録、配布資料 など
  ほか、たくさんの良書や新聞雑誌の記事、論文
 
おわりに
   一人でも多くの人が身近な川、森、海、水、災害にもっと関心をもってもらえるように明日から一歩、踏み出しましょう

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