由良川フォーラム(第1回)
〜森・里・海の連携 由良川流域エコネットワークの形成に向けて〜

標記のフォーラムが平成17年9月3日に開催されました。フォーラムに参加された、研究グループ長の友人某氏からお寄せいただいた感想文を、本人の了解のもと掲載いたします。
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日時:平成17年9月3日(土) 午後1時から午後430
場所:綾部市中央公民館(綾部市里町久田21−17)
主催:京都大学フィールド科学教育研究センター、京都府
後援:福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、美山町、丹波町、瑞穂町、和知町、三和町、夜久野町、大江町、京都新聞社、両丹日日新聞社、舞鶴市民新聞社、あやべ市民新聞社
あいさつ           京都府農林水産部林務課長
講演  「川の環境を考える−縄文の川、弥生の川−」新潟大学工学部教授 大熊孝
地域からの報告
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「由良川について」−由良川の歴史文化・環境・水害− 舞鶴工業高等専門学校 川合茂
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「由良川源流の森林の現状」 京都府指導林家 小林直人
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活動報告  1)「(特)由良川流域ネットワーク」副理事長 町井且昌
       
    2)「里山ねっと・あやべ」事務局次長 塩見勝洋
       
     3)「京都府漁業協同組合連合会」指導課長 倉幹夫
今後の取組について                   
   京都府農林水産部林務課、京都大学フィールド科学教育研究センター


関係者がかなり多かったようだが、約120人の参加者があったと聞いた。地元の人たちを始め、大津や京都市からの参加もあったらしい。

基調講演の概要――――――――――――――――――
「川の環境を考える−縄文の川・弥生の川−」というタイトルで大熊孝氏より基調講演があった。
まずは、木の橋がある信濃川支川で小さな子供が裸になって川で遊んでいる写真を見せて、木の橋は子供が裸になって川に入れる力を持っていること、20年くらいで架け替える必要があるため、技術も継承される、という話から始まった。続いて、石や木など天然の素材を使って地元の人が力を合わせて昔から手作りで作ってきた可動堰について、こういう作業が地域社会のつながりを生んでいることや、こういう堰は水が増えても一気に水が流れ出ることなくふわーっと流れていくという説明があった。これと対比させる形で、長良川河口堰など、素人を排除し専門家しか関われないものが作られていること、危険なため素人は近づけないこと(川に親しみ楽しむことができない)、土木家は素人が川にどう関われるか一切考えてないと指摘した。これからどういう川の構造を作って行くのかについて、新しい技術も使いつつ古い技術(伝統的なもの)も生かして行くことが大切だとまとめていた。
瀬、淵、崖、川原のある川が光景が好きだと、大熊さんが好きな川の風景写真を紹介した後、アユの生態を例にあげ、川の生態系にとっては洪水などのかく乱が時々起こることが必要であり、かく乱があってこそ川の生態系が作られてきたことや、大熊教授が学生時代にダムはすばらしいものだと教えられたが、これは人間の都合であって洪水は決してムダなものではないと説明があった。日本の河川は、急勾配で長さが短く洪水になりやすい一方で渇水にもなりやすいが、短いゆえに海と川を行き来する生物の存在や、森と海が川によってつながっていることを実感できたそうだ。
 日本海側の河川は縄文的、太平洋側の河川は弥生的で、弥生的というのは人間が川を敵視する傾向があると評した。縄文的というのは、川などの自然と自在につきあう技術および文化を持ちつつ生活していることと表現していた。そして、縄文文化は日本の自然の豊かさを証明するものである、と。今日、自然が崩壊寸前にあることを、「国栄えて山河(海)なし」と例え、緊急課題は日本の豊かな自然の復元にあり、これをやるのは今しかない、とも。
 川は時々暴れるものであるが、人が住み着きやすい場所というのは災害に遭いやすいところなのでどうしても被害がでるという矛盾がある。しかし、そこに文化が生まれること、川と人間とが文化を作り出してきたという話があった。そして、命をなくさないような対策を講じる必要があるとも話があった。
 「川」および「ダム」の定義について、大熊教授によるものと土木家のそれとを対比させつつ、川は恵みと災害という矛盾の中にゆっくりと時間をかけて地域文化を育んできたこと、またダムについては川の物質循環を遮断するもので川にとっては基本的に敵対物でしかない、とし、ダムを作る場合には川にお願いしてから造らせてもらう必要があったのだと論じた。ダムが必要な場所もあると断った後、不必要なダムを作りすぎてしまったのは、川の本質を理解していないためで、理解していればもっともっとダムは少なかっただろう、いまや、ダムのない川は日本にはほとんどないから、レッドデータブックに載せたいと思っている、とも。由良川を見るのは初めてとのことで、これまでから見たいと思っていた川だったらしい。講演前日に由良川を案内してもらったらしく、由良川については、大野ダムの土砂の堆積が少ないのは山の状況がよかったからだろう、そして、排砂構造がうまく機能していたこともあるかもしれないと話があった。最近は源流域の森林が荒れてきて川の水が濁るようになったと聞いたので今後土砂が増えるかどうか、注意が必要とコメント。次に、天竜川支川の美和ダムの土砂の堆積は見苦しいと写真で紹介があった。そして、天竜川の佐久間ダムは50周年を迎えるが、完成当時は、これで日本復興のための電力がまかなえると全国みんなが喜んでお祭り騒ぎで記念行事もあったが、今日では50周年記念行事という話すらないという話もあった。
ダムは副作用の多い劇薬であり、できれば使わない方がいい、という話から、ではダムに頼らない治水は可能か、あふれても安全な治水はどんなものか、と話が続いて、雨水の貯留・遊水、スーパー堤防、河川法の改正(樹林帯の導入)について説明があった。スーパー堤防は作るのに大量の土砂が必要で、計画はあるがほとんど進んでおらず、計画中のものがすべて完成するのは千年先とのこと。樹林帯は伝統的工法の水害防備林であり、水害防備林は水制作用とろ過作用を持っており、被害が軽減されると説明があった。由良川は水害防備林が多く残されているとの評価。また、草で覆われた堤防は意外と強いという話もあった。水害防備林が本来ある河川において、その上流でダムが計画されている愛媛の肱川が紹介され、伝統的治水システムがあっても、ダムを作ることに変わりはないようだと指摘もあった。
究極の治水体系は400年前にあると、洪水に対する備えを有した構造物として、桂川沿いの桂離宮書院や、城原川の野越しを例に挙げる。この城原川でもダムの計画があるという話もあった。治水システムは、昔の方が優れていること、現代は堤防とダムに頼るだけで計画を超える洪水(超過洪水)に対して無防備であると説明。
越流しても堤防が破れない堤防強化法について工法の説明。また越流した場合の対処の仕方として、床上浸水にならないように高床式にする、盛り土するなどの工夫をするなど金額的には2%ほど高くなるけれども、補助金を出すなどすれば住居の建替えはなんとかできるし、これなら30年ほどで実行できる対策であるとして、新潟の高床式建物、盛り土をして浸水被害にあわなかった建物が紹介された。

といったあたりで時間。自分らでやれることは自腹切ってでもやるべし、そういう活動を実践している、とコメント。ここで終了。
時間切れとなった以降の部分を配布試料でみてみると、

近代的技術の問題点として、あいまいな自然に対して唯一解を求めすぎたこと、効率・分業・専門化が大規模化・技術の独占体制を作った、近代的素材(耐用年数の短さと非リサイクル性)、維持管理の無視、人との関係性の無視(時の経過の中に関係性が蓄積されることの無視)を挙げ、これにより、景観・風土の破壊が生じ、人と生物にやさしくないものが出来上がった。また「技術の自治」も消滅した。
「ローテクとハイテクを組み合わせ、専門家だけに頼らず、地域コミュニティに配慮し、人々が時を蓄積していける人と自然にやさしい調和した美しい空間の創出」「技術の自治」の再構築を謳っている。
とあった。
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昨年の台風による被害を受けて国土交通省が由良川について計画している対策についてコメントはなかった。
 弥生の川、についてはよくわからなかったけれども、これ以外はよくわかって、特に川の生態系、伝統的な治水システムといったことから、人と川との関わりやつながりがあり、そこに文化があることがはっきり見える話だった。自分も土木家なのだが、と断りつつも、丁寧にご自身の川に対する考え方、見方について説明があり、従来の土木家とは異なることがよくわかった。大熊さんの考え方は、川を始めとして自然に対する敬意や愛情から来るものだろう。
 かつてからの水害防備林があるのにダムの計画がある川が紹介されたとき、樹林帯が規定されたのに、ほとんど取り入れられておらず、結局はダムに頼ることに変わりがないという印象を受けた。水害防備林に関する数値データの蓄積がなかったり、数値計算してもはっきりしたものがでないからなのだろうか。ダムだと数値計算が容易なのだろうが、ダム頼みになるのは数値を出して説明することで説得力が増すということがあるからなのか。建設業との関係もあるのだろう。野越しがある川でもダムの計画があるという話だったが、これも、伝統的治水はダメで、やっぱりダムしかない、ということなのだろうか。それはなぜなのだろう。越流すら許されないということなのだろうか。住民にとっては越流による浸水被害も困るという人も多いだろう。大熊さんは、現代は堤防とダムに頼るだけで計画を超える洪水に対して無防備であるという指摘をしている。実際にそういう事態が起きているのだから、ダムと堤防だけに頼る治水を考え直すのは当たりまえのことのように思う。それでもやはり、ダムと堤防に頼るばかりで、文化や人間の関わりがないやり方のまま進んでいくのだろうか。
大熊さんが言うような川づくり、流域作りを実際にどう進めていくか、となると、理想と現実とのギャップを感じた。大熊さんのような土木家、従来どおりの土木家や国土交通省、地元住民、生態学や海洋や森林などの研究者をはじめ、一流域に関わる多種多様な人たちが同じテーブルにつくこと自体はそんなに難しい話ではないような気はするが、もしそうなったとして話はどうなることやらわからないけれども、まずは、話がまとまらずとも一緒に考えたり話をしていく場を今後作っていくことが大事なのかもしれないとも思った。河川工学分野の人の話を聞くのは初めてであったが、伝統的な治水、川というもの、について面白い話が聞けた。私の知人たちは、工学部の中にもあのような発想をしている人がいるのは心強い、という感想もあった。

地域からの報告と感想
舞鶴工専教授の川合茂氏から、由良川について、3つの顔として歴史と文化、環境、暴れ川の説明があった。環境については、蛇籠護岸が多いので護岸の植生が多様であること、水質がいいこと、などを挙げいい自然環境があると話した。水質については、pollution indexという指標をだして、由良川は1.5-1.8の範囲にあるので水質が良い、という説明だった。この指標については説明がなく、指標の意味するところがわからないままだったので実際にはどうなのだろうという疑問が残った。暴れ川という点では、昭和28年の水害と昨年の台風23号とを比較。昭和28年で水害にあった綾部および福知山市街地ではその後に由良川沿いに堤防を作り、昨年は堤防決壊や越流はなかったが、河川改修で拡幅したもののまだ堤防ができてない下流の大江町および舞鶴市で被害が大きかったことが説明された。それなのに、下流の大江町において河川改修で断面拡幅したことに関する地元の人たちのアンケート結果を示し、概ね好評だったと言っていることとはやや矛盾を感じた。大江町で現在進行している輪中堤を作る計画などについては一切触れず。大野ダムの効果について、昨年の台風23号時の水位差をダムのあるなしで計算した結果の図が示されたが、綾部で50cm、福知山で30cmの差で、この差をもってダムの効果があったとのこと。発表時間が押していたからか、かなり手短な説明であった。川の断面積をかけ合わせて水量を出すと数十センチの水位差が大きな差になるのかもしれないが、話を聞いた直後は、差はたったそれだけのもの?と思った。その差がどの程度の差なのか、本当に効果といえるのかどうか、専門的知識がないとわからないので、こういうものなのだという押し付け気味な説明には疑問が残った。
大熊さんにも川合さんにも由良川の具体的な治水対策について多少でも触れてもらいたかった。国土交通省福知山河川国道事務所からの参加もあったらしいが、これに配慮したのだろうか。
 京都府指導林家という林業を営む小林氏は、厳しい経営実態について話があった。設計士と一緒に節目がある材も強度が求められない場所に用いるなどして、京阪神地区に産直販売で家を建てる試みについても話があった。地元NPOの活動報告については、ふぅん、といったところで、取り立てて面白いことはなかった。
由良川流域ネットワークゆらねっと、というNPOは由良川中流域の綾部市の人たちを中心にしたグループで、これまで府民水環境ネット事業という府の事業を何度か実施しているとのこと。NPOにすると補助金がもらえるからNPOにした、と堂々と言っていたのには呆れたが、実態が見えたように思った。メダカの国勢調査(国土交通省による河川水辺の国勢調査)を行い、おそらくこのときに副読本を作成して流域の小学生に配布したことや、昨年は府の事業で、下流の子供を源流域にある京大芦生研究林へ案内し、また源流に位置する美山町の子供を連れて下流のゴミ問題を見せた後、京大舞鶴水産実験所を訪問するなどしたらしい。今年も府の事業でイベントをするらしい。補助金なしではどのイベントもやらなかったんじゃないかと思った。市民による河川の調査や上下流住民との交流などは、単独のNPOを府や国が補助金を出して一部の人だけで実施するのではなく、流域内での連携をもっと生かせる仕組みはないものだろうか、補助金の使い方もなんとかしてもらいたいものだと思った。府の林務課としては森林ボランティアグループのネットワーク化を進めようとしているようだが、今のところは顔合わせをしている段階のようである。ある森林ボランティアグループと少し関わったことで、府がこういうグループに助成金をばらまいている印象を受けたこともあり、行政(府側)の思惑と実態を知りたいと思った。京大農学部の新山陽子教授がこのNPOの代表を務めるという里山ねっと・あやべは、都市の人との交流をやたらに強調していた。都市の人は森林ボランティアなどで熱心に来てくれること、その中にはサポーターと称して、NPOの宣伝パネル、活動パネルやミニコミ誌を自腹で作る人がいるという話から、都市の人との交流がこんなに上手くいっていることを伝えたかったのだろうが、都市の人たちはこんなに金だしてくれる、ということだけが印象に残った。NPOに関わる一部の地元の人間は面白いだろうが、それ以外の多くの地元の人たちとの距離感を感じざるを得ず(そういう話も聞くので)、聞いている側としては後味が悪かった。
 京都府漁業協同組合連合会からの漁民の森づくりは、平成12年に天皇が豊かな海作りという府のイベントに来て以来、行っているものらしい。これは京都府水産事務所の事業のようである(ホームページに掲載されていた)。植樹された木が枯れているという噂を聞いたし、その場所近くにある風力発電の現場を見に行った時に通りかかったという人が撮影した写真を見たり、水産事務所のHPの写真で見た限りではあるが、雑木林をこのためだけに一部皆伐して植樹したのではないかと思われた。その場所を見た人によれば、植えられた木を始め、周囲の状況と併せてみてもいい状況ではなかった、とのことだったので、聞こえはいいけれど実態はあまり見せられるようなものではないかもしれない。府が関わっている話だから、水産分野だけでなく林務関係者も関わっているだろうに、どうしてこうなるのだろう。植樹活動は美しい話、いいお話として聞こえてくるけれども、実際の現場について問う人は少ない。この点、突っ込むべきところだろう。

今後の取り組みについて、と感想。
最後のあいさつで、京都府林務課は、次回はディスカッション形式でやりたいとのことだった。講演や話を聞くだけではネットワーク形成はできないだろうし、今後も何かやろうとするなら、そうする必要があるだろう。京大フィールド研からは舞鶴水産実験所の教授から挨拶があった。京大は木文化再生研究会を立ち上げており、その教授とセンター長(水産分野)といった海の研究者がやっている。海が荒れるのと山が荒れるのとは時をほぼ同じくしている。山が荒れるのは林業不振で人工林が管理されてないからで、林業を振興せねばならない、このために木を使う文化を再生しようというものらしい。また、海を守るためには木文化を再生する必要がある、とも。かなり短絡的ではないかと思った。その木文化再生研究会でどんなことをやっているかということについての話はなかった(京大地球環境学堂の教授が間伐材を使った建築物を考案し、これをセンターが宣伝していることは知っていたが)。海をよくするために森をよくせねばならない、ということを漁民や海側の研究者からよく聞く。海そのものの問題もたくさんあるだろうし、どのくらい森のことを知っていてこう言うのだろうか、と思う。「海のために」、という海側からの一方的とも感じ取れる発言を聞くたびに、海も森も、というふうには思わないのだろうか、とも思う。海が、森が、という個別論ではなく、流域という単位でみていけば、海側と森側の相互理解も進み、両者の間にある境のようなものも取り払えるのかもしれない。
 フォーラムの副題には、エコネットワークの形成に向けてとあったが、今後の方向性、どう展開させるのか、などについては何もわからなかったし、主催者から積極的に伝えるわけでもなく、単発の講演会といった印象だった。大熊さんの話が聞けたことはよかったが。京大フィールド研は、源流域に芦生研究林、河口域には水産実験所がある。舞鶴水産実験所では、川の調査も始めようとしているということだったが、他にこんなことをやっているという話はなかった。芦生研究林ではシカ食害が深刻なのに、全く話題に出ることはなかった。研究林関係者の参加もなかったようだ。研究林と水産実験所との連携などフィールド研としての取り組みについて話はなかった。主催者である京大から話題提供が全くなかったのは不思議に思った。京都府の方向性もそうだが、京大フィールド研での方向性、連携の方向などまだ見えてないのだろう。

京都大学フィールド科学教育研究センター

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