UNESCO-IHP-HELP太平洋地域会議・
モトゥエカ流域ICMワークショップ 参加報告
(2005年11月7〜11日、ニュージーランド・ネルソン)


「青の革命」では、統合的流域管理の実践が世界で最も進んでいるといわれているニュージーランドを調査対象国の一つとしている。このたびニュージーランドでも最も進んでいる南島ネルソン市およびタスマン郡にて、標記の会議およびワークショップが開催され、「青の革命」メンバーの3名が参加・発表を行ったので、その概要および感想を報告する。

 UNESCO 国連教育科学文化機関
 IHP 国際水文学プログラム
 HELP 環境・生活・政策のための水文学 の略です。

参加者:
窪田順平(総合地球環境学研究所)
平川幸子(広島大学大学院国際協力研究科)
蔵治光一郎(東京大学愛知演習林)

概要:
11月7日 UNESCO-IHP-HELP会議のオープニング。日本からの参加者は到着が遅れ、1名が午後のみ参加した。

11月8日 モツエカICM(統合的流域管理)ワークショップ1日目。HELPでは全世界に対象流域を設定して進められているが、モツエカはその中で最も先進的なケースとして全世界に知られている流域である。ワークショップは70人規模で、その60%はニュージーランド内各地から来ている模様。司会はファシリテータを専業としている人が務めた。まずモツエカICMのリーダーであるLandcare Researchのアンドリュー・フェネモア氏から、ICMとは「持続可能な自然資源のマネージメント」というビジョンを達成するためのプロセスであり、人々−研究者・専門家−政府・政策の3者の相互連携が重要であるという発表があった。その後、様々なスピーカーがICMの理念と実践について、自然科学的(生物物理学的)および人文・社会学的な観点から発表した。


11月9日 モツエカICMワークショップ2日目。70人規模の現地見学。まず先住民族マオリ族の客人歓迎の儀式に参加し、教会に隣接した集会所でお茶をごちそうになる。

続いてマオリの神聖な地である海岸近くのポキタワイを訪問し、丘の上から遠浅のタスマン湾を眺める。

そこからモツエカ川沿いに移動し、途中の家で昼食、河原に降りて魚類保護やレクリエーションフィッシングの説明を聞く。


さらに上流に向かい、農家の庭で地下水問題について説明を受け、最後に分水嶺近くのマツ人工林伐採現場で林業者の説明を聞く。

とても良い天気で説明がすべて野外で行われたのは新鮮な体験だったが、雨だったらどうするつもりだったのだろう。

11月10日 HELP会議2日目。午前中は南太平洋地域各国(フィジー、PNG、ソロモン、バヌアツ、サモア、クック諸島)の発表。これらの国の中でHELP流域に指定されているのは、バヌアツのタリセ流域(5km2)で、これは全世界のHELP流域の中で最小の流域。午後の最初に日本からの参加者3名の発表、引き続きニュージーランド国立水大気研究所(NIWA)からの技術的な発表が2件あった。


11月11日 HELP会議3日目。午前中は南太平洋6カ国のテーブルを設け、それぞれ4,5人が座って各国でHELP流域を立ち上げる場合に優先されるべき課題をリストアップする。午後はそれを順に発表して、ユネスコ関係者がそれを本会議の成果とすることを説明し、終わる。

参加メンバーの感想:

Pacific HELP Symposiumに参加して
窪田 順平(総合地球環境学研究所)


 IHP-HELPは私の所属する地球研の目指すところとも相通じるコンセプトを持ち、興味深いプロジェクトであるが、日本も含めてなかなか実態として活動が進んでいるケースは少ないと聞く。その中でHELPのコンセプトを良く具現化している数少ないケースと言われるMotueaka川流域統合管理プロジェクトを見聞する機会に恵まれ、期待を持ってPacific Help Symposiumに参加した。ニュージーランドは森林水文の分野では先進的な研究を生み出してきた国のひとつであり、プロセス研究に関わる研究者達が流域統合管理にどのようにアプローチしているかも興味があった。短期間で多くを知ることはもとより困難ではあったが、Motueaka川プロジェクトそのものは、行政、地域住民を含めてよく組織され、運営されていた。特に行政、地域住民、科学者間で相互信頼が見られ、それが有効な情報交換と議論の基盤となっている。しかし農業や林業による環境への負荷や水配分に関わる問題などは存在するが、そもそも深刻な環境問題や対立はなく、Motueaka川の環境を保全し次世代に残すべきで大前提の前で、関係者間のコンセンサスを得ることそれほど困難ではなかったのではないかとの印象を受けた。またSymposiumではHELPの世界的な進展状況、今後の見通し、アジア太平洋地域における方向性などについての報告、議論がなされたが、残念ながらあまり発展的な話題は聞かれなかった。ニュージーランド、オーストラリアは頑張っているが、日本でもプロジェクトの実質化、アジア地域でのリーダーシップの発揮が必要とされていると感じた。


Pacific HELP Symposiumに参加して
平川 幸子(広島大学大学院国際協力研究科)


 広域的な流域管理の成功例を見、また水文学を政策決定に生かすというHELPの趣旨がどのように実践されているかを学ぶことができると期待して、このシンポジウムに参加した。しかし、HELPのサイトであるモトゥエカ川流域は、取り立てて環境問題も流域内の利害対立もなく、時々起こる洪水は天災であると皆諦めており、様々な水文学やその他の分野の研究が行われていてもそれが政策決定に生かされているという事象をあまり見ることができなかった。海では、赤潮の問題どころか、河川の水がきれいすぎて養殖される貝の栄養が不十分であることが問題にされていた。下流では地下水を使ったスプリンクラーによる大規模な灌漑農業が行われ、キウィフルーツ、ワイン葡萄、ホップなどが栽培されていた。本当に持続的なのだろうかと考えたが、地下水の量は測られていない、当分大丈夫だろうとのことであった。中流では丘に牛や羊がゆったりと草を食んでいる中、洪水を恐れてやや高い場所に建てられた家がある一方、川のすぐ近くに建てられた家もあった。これは、情報を与えられた上でのリスク管理は個人の責任で行うということなのであろう。日本とは少し異なる考え方なのかも知れない。高地に行き、初めて日本人にもこれと分かる政策的な問題を聞くことができた。下流での流量の不足を防ぐために、高地で森林を伐採し、今は新しい植林を制限しているのだという。森林組合長は、不満ではあるが、流域全体のことを考え条例には従うとのことであった。何だか日本とは何もかもあべこべの不思議の国に来たような感じがした。
 シンポジウムの中で「いったいこの流域で何が問題なのですか。そもそも政策決定とは、利害対立があり、コストの負担をめぐる議論があって行われるものではないでしょうか。水文学あるいは他の科学は、利害対立・コスト負担という政治的な問題の中で、どのような貢献ができるのでしょうか。」と質問してしまった素人平川は、自分自身が平和な湖の中に投げ込まれた石になったような気がした。参加者の皆様が、そんな質問に一生懸命に答えようとしてくださったことは、とてもうれしかった。
 しかし、一番うれしかったのは、蔵冶さんが日本の球磨川における問題を紹介し、この流域をHELPのサイトとすることを考えていると発表された後、ユネスコの担当者が「そうなるとHELPとして本当にうれしい。問題のない流域での実践は、練習あるいは教育にすぎない。我々は本当に問題がある流域をサイトにして実践を行いたいと思っている。」と言ってくれたことであった。日本には、河川をめぐり、その流域をめぐり、今多くの問題が存在する。水文学やその他の科学はその解決にどのような役割が果たせるのであろうか。問題がある日本こそがその実践をリードしていくことを強く期待している。


青の革命とはICWRMの実践である
蔵治 光一郎(東京大学愛知演習林)


 HELPは、河川ではなく、流域の全世界ネットワークである。水文学とはもともと地理学の一分野であり、河川とその流域を一体のものとして研究対象とするのが本来の姿であったろう。しかし水が人類にとって最も重要な自然資源の一つであるため、水文学は純粋自然科学から応用科学に変質してゆき、河川工学者や灌漑排水工学者が中心となって推進されてきた。その結果、研究対象として流域よりも河川に重点が置かれるようになった。このような傾向は日本でより顕著である。その一方で生態学者や農学者、森林学者は、土地を区分し管理するための基本ユニットとして流域、集水域を取り上げて研究したが、そこでは流域からの水の流出を水文学的に研究するという視点はほとんど入っていなかった。すなわち流域と河川は本体不可分のものであるにもかかわらず、切り離されて別々に研究されてきたのである。
 HELPのHは水文学であり、水文学プロジェクトが流域の全世界ネットワークを作ろうとしていることは、これまでの河川を中心とした水文学を、流域と河川を一体のものとして考える水文学という本来の姿に戻していく時代の流れを反映しているものと考える。特に発展途上地域においては、土地利用の劇的な変化が起きており、それが洪水や水資源に及ぼす影響が顕著になってきており、そのような問題の解決に向けて水文学が果たすべき役割があるはずだと多くの人が考えるに至っている。しかしそこにはいくつかの問題がある。
 まず、流域はすでに水文学以外の様々な学問分野の研究者によってすでにプロジェクトが立てられ、大規模に研究されており、これから水文学者が新規参入しても当面は少数派でしかないことが挙げられる。流域の土地利用には様々な課題があり、水問題はそのうちの1つに過ぎない。次に、「青の革命」の著者イアン・カルダー氏が至る所で述べているように、水利用にとって望ましい土地利用は、その地域にとって望ましい土地利用と一致するとは限らないということがある。植林は水資源の消費につながるので水を確保するためには木を植えない方が良いという事例がその典型例である。水利用と土地利用は予定調和せず、トレードオフの関係となり、関係者間で利害が対立して調整が必要となる。さらに法制度の問題がある。日本では、河川の管理を定めた河川法に流域という単語は一度も使われていないので、河川行政は流域のことをいっさい考慮していない。このような制度の下で河川の水文学者が流域問題に関与することは極めて困難である。最後に、これまで河川のみを見ることに慣れている研究者の目を流域に向かわせるのは容易でないという問題がある。最近IWRM(統合的水資源管理)という言葉が好んで使われるが、本当に必要とされているのはIWRMと統合的流域管理(ICM)が融合したICWRM(統合的流域・水資源管理)であることに気づいている人は少なく、それを実践に移している人はさらに少ない。
 HELPは、このような困難にあえて立ち向かい、真のICWRMを実現するための第一歩と位置づけることができるが、その道のりは決して平坦ではない。HELPがうまくいっているのは南半球の人口が少ない地域であり、ICWRMが最も必要とされている北半球の先進国や発展途上国ではないことが、それを物語っている。しかし困難だからと言って努力を怠っていては、青の革命は実現せず、人口稠密地域での水問題の解決はますます困難になるだろう。
 このようなことはいつも考えていることではあるが、今回のシンポジウムに参加することによって改めて認識させられ、勇気づけられた気がしている。今回アンドリューが示した「住民・市民−専門家・研究者−行政・政策」という3者の関係は、奇しくも第7回研究会でカリフォルニア・マチィリハ同盟のポールが示した構図と同じであったが、日本やアジア的価値観のもとでは、独特の伝統に根ざした価値観や社会規範など、彼らが示したような単純な図式では説明しきれないこともあるだろう。地域性と歴史・文化を考慮しつつ、これからの世紀に必要とされているICWRMの理念と実践を、具体的な流域のコンテクストに即して今後明らかにしてゆければと思っている。
こんな川です
園芸農業が盛んです


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