第1回日中水フォーラム


標記のフォーラムが2004年4月20〜22日に北京で開催されました。緑の地球ネットワークの高見さんから、森林総研のお偉方を通じて発表の依頼があり、参加、発表して参りました。

水フォーラムに森林分野の方が企画段階から関与されているということに、メキシコの会議との大きな違いを感じました。発表者には、北京林業大学の先生や、四川省のJICA植林プロジェクトの楊さんもいらっしゃいました。これは、中国では4000年以上前から続く森林減少があり、1998年の長江洪水の原因の一つが上流の森林減少と考えられたこと、それを踏まえて中華全国青年連合会が「母なる河を護ろう」運動を起こしたこと、それに対応して1999年小渕総理訪中の際に「日中友好緑化基金」が創立されたこと、全中国的植林運動=「退耕還林」が行われていること、などが背景にあるようです。150年前の日本のように、中国では「森林を治めるものは川を治めることができる」という哲学をもち、それを実行しているように感じられました。

日本では、1000年以上前から150年前まで続いた森林減少があり、その結果として洪水、土砂災害が頻発しました。明治政府は、「治水3法」=森林法、河川法、砂防法を制定し、森林の回復に向けて努力しました。戦争中、国土は荒廃しましたが、1950〜60年代には、木材生産、利益追求のための大規模な植林=「拡大造林」が行われ、結果として人工林は全森林の40%に達しました。その後、林業の衰退が荒廃人工林の拡大を招いています。一般市民は「森と川は深い関係がある」と一貫して考えているのとは裏腹に、日本政府は戦後一貫して、「河川管理と森林の状態は無関係」ということを前提として河川を管理してきました。

日本では、河川主義から流域主義へ、河川計画の「革命的」転換が求められていますが、中国では、行き過ぎた植林が水資源の枯渇を招くようなことがないようにしないといけないという思いを禁じえませんでした。

日本と中国の間には、認識にも実態にもこれだけ大きな差があるということを学ぶことができた、有意義な会議でした。この会議は毎年行われる計画で、第2回は来年、札幌市で行われる計画です。

蔵治の発表要旨

以下は、今回のフォーラムで重要な役割を果たされた、緑の地球ネットワーク事務局長の高見邦雄さんが、ニューズレター黄土高原だより(NO.253)(2004.04.26)に書かれた記事です。


 後ろ姿の北京は砂上の楼閣?

 中国共産主義青年団中央委員会、
 中華全国青年連合会の主催で、
 4月20日から22日まで、
 日中水フォーラムが、北京で開催されました。
 新聞報道によると、初日の参加者は1500人。
 大成功です。
 私にとっては、内容的にも、大きな収穫がありました。
 とくに、そこで明らかになった、北京の水問題の深刻さは、
 私の推測を、はるかに超えるものだったのです。

 参加者のうち、水ユースの人たちが、
 22日の夜行列車で、大同を訪れ、
 2日間、水問題の現場をみてくれました。
 それに同行して、私も大同にもどり、
 25日の午後、北京に帰ってきました。

 うれしいことがありました。
 それまで1度も雨がなかったのに、
 私たちが大同を発つころから、
 ポツリポツリと雨がきて、
 途中で本降りになったのです。
 26日の朝、泊まっているホテルの22階の窓から下をみると、
 道行く人が傘をさしたり、雨着をつけています。
 1晩、降りつづいたのでしょう。

 さっそく大同に電話で問い合わせました。
 大同でも1晩、降りつづいて、
 環境林センターの観測では、22.5mm。
 いまは止んでいるが、雲が厚いので、
 まだ降るかもしれないとのこと。
 半年ぶりの雨です。
 これで、植えた苗も、生気をとりもどすでしょう。

 水フォーラムでは、私も、発言の機会をもらいました。
 以下は、その要旨です。
 中国側の参加者からも、
 拍手をもらいましたから、
 問題に気づいている人も、
 少なくないのでしょう。


 私たち緑の地球ネットワークは
 1992年から山西省大同市の農村で
 緑化協力事業を継続してきました。
 私自身も、日焼けと酒焼けで、
 こんなふうにまっ黒になりながら、
 農村を歩き回っています。
 そのなかで危機感、というより恐怖を感じるようになったのは、
 この一帯から、底がぬけたように、
 水がなくなっていることです。

 最初に気づいたのは、県と県の境に位置する辺鄙な農村でした。
 井戸や湧き水が涸れ、何キロも離れたほかの村にもらい水に通います。
 見るに見かねて2つの村で井戸を掘るのに協力しました。
 幸い水は出ましたが、深さは176メートルと182メートル。
 村の人は大喜びだったんですね。
 お年寄りは泣きながら
 「生きている間にこんないいことに出会うとは思わなかった」といって、
 私の手を放しません。
 私も、もらい泣きしました。

 そこで知り合った、井戸掘り隊のリーダーの話が、また衝撃的でした。
 「県境の一帯は例外なく水がなくなっている。
 水のない暮らしの困難さは、自分たちが一番よくわかるから、
 お金にならなくても掘ってやりたい。
 しかし、そういう村は素寒貧で、井戸を掘るお金なんてない。
 井戸掘りの注文も少なくて、
 自分たちの賃金も遅れるくらいだから、どうにもならない」。
 そうだとすると、井戸を掘ることは、緊急避難にはなっても、
 根本的な解決にはならないんですね。
 ここの水不足は、井戸で解決できるレベルを超えているわけです。

 私たちは、かつて、21の村の900人を対象に
 アンケート調査したことがあります。
 1人1日の水使用量は平均で23.8リットル、
 少ない村は15.6リットルでした。
 そして、水が少ない村ほど「最近の減少が激しい」というのです。

 つぎに気づいたのは、大同中の河という河、
 ダムというダムが干上がったことです。
 大同の中央部を桑干河が横切りますが、
 最後に流れをみたのは1997年夏で、
 それ以後、毎年10回以上この河を渡っているのに、
 流れを見たことがありません。
 はなはだしきは昨年9月、応県でこの河を渡るときのことです。
 川底の全面がトウモロコシ畑になって、
 水の流れる余地がまったくありません。
 橋の表示を見なければ、そこが河だとは誰も思わないでしょう。
 地元の農民は、水が流れてくることを期待も恐れもしていないのです。
 丁玲の有名な小説に『太陽は桑干河を照らす』がありますが、
 これでは『太陽はトウモロコシ畑を照らす』です。

 都市の水不足も深刻です。
 昨年、大同の炭鉱職員住宅を訪れました。
 水道の給水時間は1日にわずか20分。
 バスタブに貯める100リットルが、4人家族の1日分でした。

 地下水位も急速に低下しています。
 地元の新聞は
 「主要地域では毎年2〜3メートルも低下しており、
 2008年には完全に涸渇する」と報道しました。

 広い中国ですから、
 そういう地方もあって不思議ではないでしょう。
 しかし大同は北京の水源にあたります。
 先ほどの桑干河は官庁ダムに注ぎますが、
 官庁ダムは、密雲ダムに次ぐ北京の水ガメなんです。

 1か月ほど前、大同にいく途中で高速道路を降り、
 官庁ダムをみました。
 水際が、以前のそれから1キロ以上も後退しています。
 干上がったダム湖の底が畑に変わり、春耕の最中でした。
 リンゴやブドウの果樹園、ヤナギの苗畑もありました。
 水際に近いところに貝の死骸が転がり、水草が腐っていました。
 農民の話では「この5、6年の水位低下が激しい」とのことです。

 昨年の国慶節直前、大同の冊田ダムの水門が開かれ、
 5000万トンの水が官庁ダムに流されました。
 そのときの儀式で「首都を守るのは光栄な任務だ」と強調されました。
 しかし大同の水不足は、北京に比べずっと深刻で、
 大同からみれば、北京の水の使い方はぜいたくです。
 大同市民がどんな思いであの5000万トンを見送ったか、
 北京の人はわかっているのでしょうか?

 日本からみる北京は大発展・中国の頂点で、
 私も通過するたびにその変貌に驚かされます。
 しかし、大同から見る後ろ姿の北京は、
 「砂上の楼閣」のように思えてならないのです。
 昨日から中国側の報告もたくさんありました。
 節水その他、みなさんの努力に敬意を表します。
 しかし、いまのような勢いで、北京が膨張をつづけるなら、
 それも限度のあることでしょう。

 このような話を、外国人の私がするのは、
 非常識で、無礼きわまりないことでしょう。
 それは私も承知しています。
 しかし、毎年100〜120日、大同に滞在している私は、
 この席に立った以上は、話さないわけにはいかないことを、
 理解していただきたいと思います。

 私たちの本業は木を植えることですが、
 ささやかながら、水のプロジェクトにも取り組んできました。
 農村で井戸を掘ったことはすでに話しました。
 それから私たちの拠点の環境林センターで、
 小さな汚水処理施設をつくりました。
 ここには20ヘクタールほどの苗圃があり、
 苗づくりには水が必要です。
 日本の外務省草の根無償資金協力の支援で、井戸を掘りましたが、
 地下水位が急速に低下するなかで
 無神経に水を使うわけにはいきません。
 先ほどの炭鉱住宅の生活汚廃水を
 浄化して使うことを思い立ちました。

 きょうも在席の大阪産業大学の菅原正孝教授が
 手弁当で現地にきてくれました。
 採用した技術は土壌浄化法です。
 25メートルプールほどの簡単な設備で、
 1日250トンを処理できます。
 処理水で金魚を飼っていますから、
 灌漑用水としては十分なレベルでしょう。
 たくさんの人が見学にきて、
 「こんな簡単な設備でいいのなら、すぐにでもつくりたい」といいます。
 しかし実際に運転すると、さらに改善できる点がでてきます。
 いまそれに取り組んでいるところです。

 灌漑用に計画したため、
 零下30度近くになる大同では、冬季の運転はできませんが、
 それが可能になれば用途はさらに広がります。
 人口の密集する都市では大規模施設が有効でも、
 そうでない農村部では、汚水の発生源近くに小規模施設を数多く建設し、
 処理水を河に流すほうが効率的なはずです。
 そうすれば河もよみがえります。

 このプロジェクトの成功に味をしめ、
 昨年秋から炭鉱汚水の浄化実験にとりかかりました。
 大同は中国最大の石炭の街です。
 坑道を深く掘れば当然、地下水がでてきます。
 その水には鉄、マンガン、その他が含まれ、
 そのままでは使えませんから、捨てられていました。
 石炭1トンを掘る過程で、平均2.5トンの水資源が破壊されるそうです。
 最近になって、その水を浄化して水道用水にする
 プロジェクトが稼働しました。
 逆浸透法によるもので、多額の資金を要し、
 豊かな大炭鉱では可能でも、零細炭鉱では使えません。

 私たちが採用したのは、生物処理です。
 オモチャのように簡単な設備ですが、
 1日あたりの処理量は70トン、
 800人のその村には十分すぎる量です。
 運転開始後3か月で、
 水道水の基準には距離がありますが、
 洗濯、浴用などには問題ないレベルにたっしました。
 炭鉱労働者はまっ黒になってでてきますから、
 風呂に入れるようになれば助かるはずです。

 ところがこの実験は3月に中断されました。
 その炭鉱の廃止が決まり、
 通告の翌日、上部の命令で入り口を封鎖されたのです。
 せっかく積み上げてきたのに、無念でなりません。
 地元の要求も強いので、なんとか再開したいと願っています。
 このようなトラブルは、地方ではしばしば発生します。
 過去にも経験しました。
 日本側のみなさんには、
 そのような事態であわてないよう、あきらめないよう、お願いします。
 中国側には、このような問題をできるだけ早く解決するよう要望します。

 たいていの社会問題は、
 辺境の貧しいところで、最初に顕在化します。
 どこの国、どこの社会でもそうだと思います。
 環境問題、水問題はその最たるものでしょう。
 そのようなところに、つねに目が向けられる社会であれば、
 問題が早く認識され、
 軌道修正が容易で、
 負担も軽くてすみます。

 中国には「水を飲むときは井戸を掘った人のことを忘れるな」
 という格言があります。
 いい言葉です。
 それに加えて、水を飲むときは上流のことを考えてほしい、
 逆になにかを流すときは、下流のことを忘れないでほしいのです。

 このあとの分科会の議論が盛り上がり、深まることを願って、
 思うところを率直に話しました。
 たいへん楽しみにしています。
 発言の機会を与えてくれた主催者に、心から感謝いたします。


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