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 アジア経済研究所「流域のサステイナブルガバナンス」
青の革命と水のガバナンス研究グループからの参加者感想

日時: 2006年6月19日(月)  13:00〜15:00
場所: 東京外国語大学本郷サテライト7F

青の革命と水のガバナンス研究グループからの参加者

蔵治光一郎
       東大・愛知演習林 
松本充郎          高知大学人文学部
井上祥一郎       伊勢・三河湾流域ネットワーク
まさのあつこ    ジャーナリスト

6月19日アジ研研究会
高橋裕氏「利根川流域管理の経験について」
(感想:まさのあつこ)

【共感できた点】
●利根川水系河川整備基本方針について
「つじつま合わせ。下流側からすると苦しい。」
●流域委員会について
「淀川で作ったんだから、利根川で流域委員会をやらないわけにもいかないだろう」との見解

【その他】

●「幻の利根川放水路」が中止になったことについて

『放水路計画は(都市化が進んだことにより)誰もがもう無理だと思っているのに止めるということもできなかった。止めるということが言えるとも思っていなかったら今回中止になったのは、当たり前だが大英断だ』と感慨深く言われたことが印象的でした。

やっぱり、という思いです。「無理だ、現実実がないと思っている」事業でも、誰(行政、学者)もが泥をかぶりたくない思いで、心には思っていても、「中止にしよう」と言い出さない文化があるんだなと、実感しました。

高橋氏が見せた"感慨"は、河川整備基本方針策定小委員会の委員長(元河川局長)や福岡委員や虫明委員が同委員会で見せた感慨と共通性を感じました。「幻の放水路計画が中止」と委員会の中で何度も繰り返されました。それが長年、河川行政にかかわりながら、自分からは「やめよう」と言い出さなかった人々の共通の感覚なのか、とむなしさを覚えました。

さらに言えば、(高橋氏の講演の内容からは大きくはずれますが)困るのは、「誰もが無理だ、あるいはムダだと思っているのに計画上に存在し続ける事業がある」という馬鹿げた事実に自信が持てないまま政治決断できない政治家がいることだなぁと思考が泳ぎ始めました。

ときに、行政計画について"非現実的""ムダ"という現実を反対運動をしている少数の人間しか口に出して言わないと、「中止すべき」という勇気を持てない政治家、決断が遅れる政治家がいます。利権でがんじがらめで、そんなことは問題外という問題外の政治家もいますが、良心的な政治家でさえ、「ムダだ」という事実や科学的データを下に自分では表現できない、決断しない。それは困ったことだと思います。

そもそも時代の変化に応じて行政計画を変更しようという柔軟な決断は政治家しかできない。行政にはできない重要な役割で、そのために「選挙公約」があるわけですが、行政計画や行政手続に遠慮したり、ごまかされたりする場合があります。

そこで、研究者が正直に見解を日ごろから述べておくことがどれだけ重要な政治決断の判断材料となるかを、研究者はこれから肝に銘じて欲しいと思いました。

研究者は、市民に代わって最終決断をできる立場も権限もない。しかし、政治判断材料になりえる人材なのだということを自覚して欲しいというところまで、私の思考は流れていきました。

本来は、行政マンがもっともその政策と実情に精通する者として政治家に、政策オプションを進言、提案する立場にはあります。それをしないのは第一に惰性と怠慢であり、第二に泥をかぶることと変化を自分が起こすことを恐れるからなのだろうと思います。

さらに言えば、たとえば国交省以外の官僚の中には、たとえば半世紀前のダム計画について、「国交省はまだダムを作ろうとしているのか!」とおもむろに驚く人もいる。しかし所管外なので口は出さない。このような姿勢は、行政計画の場合は捨てていただきたいもんだと思います。政治決断ができない政治家しか結果的に選べない、そんな貧しい民主主義しかもたない私自身を含む一般国民も含め、まともにならなければと、思う次第です。

●印旛沼の掘削の意味について

最後の質疑応答の際、東京側を守るために考えられた利根川放水路代わり、今回の河川整備基本方針で、突如として浮かび上がった印旛沼などの掘削について高橋氏に質問をしました。
狭窄部として有名な「布川(ふかわ)」の上流で、利根川本流、鬼怒川、小貝川と3本が合流するので、「布川」の上流側に利根川放水路を作ってその流量を分散させるのが放水路の発想なのに、「中止になった利根川放水路の代わりに出てきた印旛沼の掘削は、布川の狭窄部の下流にあり、意味がないないのではないか?どうお考えか」と質問をしたのです。

ところが、高橋氏は、利根川本流、鬼怒川、小貝川、布川、印旛沼の位置関係を勘違いされていました。そのときは、私の方の大きな勘違いかと思い、うやむやになりましたが、後ほど確認したら、私の理解していた位置関係どおりでした。改めて同じ質問をしたいと思いました。

●八斗島地点の基本高水について

同じく質疑応答で、『河川分科会河川整備基本方針検討小委員会で河川計画課長が「八ツ場ダムが最後(のダム)です」と言ったわりには、八斗島(やったじま)地点(利根川本流に吾妻川や神流川が流れ込む地点)の基本高水は、さらに何基もダムを作らないと達成できないぐらいに大きい。下久保ダムの再編とか国交省は言っているが、それだけでは全然足りない。高橋氏は「つじつま合わせ」とおっしゃったが、まさに数字だけは合わせてあるが、逆に数字しかない。この数字を達成するためにどんな計画があるのかと課長に聞いても明確な答えはない。河川工学のご専門から見てこれをどう思われるか』と質問させていただきました。

これに対し、「方針は、具体的な計画ではないから」というのが高橋氏のお答えでした。「八ツ場ダムが最後(利根川では他にはもう作らない)」と課長が言ったことについては、ご存知なかったのか、利根川放水路と同じで感慨深そうな表情をされていましたが。

八斗島の上流の基本高水と現実の乖離についても、実は非現実的と分かっていながら、国交省が自分たちで言い出さない限り、誰も研究者からは言い出せないのだろうか、と思わざるを得ませんでした。
以上、感想です。

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©2004. Research Project on Global Governance of Water.


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