青の革命と水のガバナンス研究グループ

青の革命と水のガバナンスブログの記録
1 基本高水流量

投稿1  2005/9/2(金)午前 8:50
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投稿2  2005/9/3(土)午前 10:20
投稿3   2005/9/3(土)午後 9:23
投稿4  2005/9/6(火)午後 8:30
投稿1 蔵治光一郎 2005/9/2(金) 午前 8:50

第23回武庫川流域委員会が9月1日に尼崎市で行われました。武庫川については「青の革命と水のガバナンス」第2回研究会で京都大学の大野智彦さんが発表をされています。委員会ではこれまで長い時間をかけて基本高水について議論してきましたが、あるMLで、今回の委員会でいよいよ合意形成に踏み切ると聞き、面白そうだと思って傍聴してきました。流域委員会で基本高水を正面から議論しているところは、全国的にみても珍しく、注目すべき事例だと思われます。
細かい議論はいろいろありますが、要は基本高水ピーク流量を3800トンと4800トンのどちらにするかで委員の意見が割れており、合意形成を目指していました。旧法の工事実施基本計画では4800トンとなっています。4800トンだと上流にダムが必要になり、20年前から治水専用ダム計画をもっている県は基本高水を変更したくない立場です。
計画規模は100年に1度の洪水です。もし、1/100の確率で発生するピーク流量が科学的に求められるなら合意形成できると思われるのですが、それが科学的にできないので、その代わりに1/100の降雨をモデルに入れて計算された値を1/100のピーク流量をみなすという手法がとられます。しかしその点ですでに合意は形成されませんでした。なぜなら、1/100の降雨とは日降水量が1/100だというだけで、降雨の時間変化グラフには様々な波形が想定でき、どの波形を使うかによってピーク流量は何通りにも計算されるからです。
最大値でも最小値でもすべて1/100であるという説明は明らかにおかしいですが、かといって1/100の降雨を使うやり方で、かつ、計算されたピーク流量が果たしてどのくらいの確率で起きるかを科学的に計算することは、現在の科学のレベルでは不可能なのです。現状では、1/100のピーク流量と、1/100の降雨をモデルに入れて計算された値とは、別物であると言わざるを得ません。
そこで、波形を限定したうえで、その最大値を取るという発想が生まれます。しかし、波形の限定の仕方によって最大値は大きくもなり、小さくもなります。波形の限定の仕方に現状では定説がないため、とても恣意的な、合意形成できない方法になってしまっています。
結局、夕方7時まで延長しても決着はつかず、次回の委員会を急遽9月5日に開催し、そこで合意形成を図ることとなりました。
今日の委員会では、なぜかインプットする降雨のみに議論が集中していましたが、その他にもモデルパラメータの決め方(流域分割と土地被覆との関係、パラメータをどうやって決めたのか)、飽和雨量、先行水分条件など様々な問題がありますので、たとえ入力する降雨の大きさと波形が決まっても、計算結果にはかなりの不確実性がつきまといます。
これは科学の限界であり、科学者間の論争では合意形成ができない問題であると感じました。委員会では科学者の論争はあくまで参考意見とすべきで、それ以外の要因も考慮して社会的に合意形成を図るべきであると思われました。その際には具体的治水事業(ダム)や財政の問題も当然セットで議論しなければいけないはずです。しかしダムのことを口にした委員は少数で、大半の委員はダムを表に出さずに議論している。とても不思議でした。
私の結論として、委員会としては、基本高水を科学的に(決定論的にも、推計学的にも)決めようとするのは無理であるという合意を形成し、その上で誰でも納得ができる、例えば既往最大+アルファを基本高水とするのがいいように思いました。
最後に、伊勢湾台風を引き合いに出して昭和34年9月の出水を入れろといったような議論がありましたが、誤解を正しておきたいと思います。伊勢湾台風は確かに死者の数では戦後最大ですが、その被害の大部分は洪水でなく高潮によって発生しています。強風に満潮が重なり、高潮は名古屋港では3.45mに達したとされています。東海地方では、伊勢湾台風は雨台風ではなく風台風であり、伊勢湾台風の雨量記録は東海地方の雨量観測点では既往上位10位にも入りません。
従って、基本高水の議論で伊勢湾台風を引き合いに出すことは間違いです。伊勢湾台風の災害は今のアメリカのサイクロン災害と類似しています。このような災害が怖ければ、河川に由来する洪水対策よりも高潮対策を議論された方がよいかと思います。

コメント1 とある若手コンサルタント

大変興味深い話をありがとうございました。 降雨波形やパラメータ、境界条件によって 基本高水流量がいくらでも変わる問題は、 実際にそうした計算をやっているコンサルタントであれば おそらく誰でも知っていることだと思われます。 したがって、極端な話、発注者(行政担当者)が 「このような結果にしてほしい」と言われれば、 それに合わせて様々な条件を決めて結果を出すという、 まるで本末転倒なことをやることもあるようです。
A
私の個人的な理想を述べさせて頂くと、 河川整備基本方針で「1/100」と決まれば 何が何でも1/100に合わせるように整備計画を作らねばならない というのがおかしいような気がします。 とはいえ、基本方針で1/100と決められたなら、 とりあえずは基本高水を1/100で計算してみたらよいとは思います。 そのときは、一つの案としては、 1/100の雨を降らせて最悪なピーク流量が出るような降雨波形を選択する。 つまり、降雨波形やパラメータで値が変化するとかいうことのないよう、 工学的安全側で計算する、と決めておきます。
B
それで整備計画を考えてみて、 ダムをいくつも造らなくちゃいけない、 しかも環境への悪影響がはかり知れないとなったら、 そもそもの1/100という基準を見直してみませんか、 ハード対策で1/100ができないようなら、 ハードは1/80だけどソフト対策を頑張って 合わせて1/100に匹敵するくらいにしませんか、 という流れで検討するとか、どうでしょうか。 それでももちろん、法律的な問題やソフト対策の評価の問題、 被害が生じたときの責任の所在など、 問題は山積みですが、一つの方法かもしれません。
C
すみません、Aについて、工学的安全側だけでは極端な集中豪雨など、ありえない波形が選択されてしまいますね。蔵治先生もコメントされているのに失礼しました。いろんな波形を取ったときのピーク流量の違いを考慮し、基本高水を幅をもって提供するなんてのも一つの方法かもしれません。

コメント2 蔵治光一郎

さっそくコメントありがとうございます。字数制限でご迷惑をお掛けしてすみません。さて基本方針と整備計画の関係については委員会でも議論されたのですが、基本高水は実現不可能な目標でもいいのでは、という立場と、実現可能な目標でなければならないとする立場が対立しました。ダムを支持しない立場からは、基本高水が4800である限りダム計画は生き続け、ダムを作りたい立場からは、3800になるとダムが消えるので、整備計画がどうなろうが基本方針の段階で互いに譲れないという雰囲気でした。


投稿2 蔵治光一郎 2005/9/3(土) 午前 10:20

大阪府立大の高津正秀先生から長文のコメントを頂きましたので、了解を得て以下に転載致します。
高津です
こういう話になると、つい一言、言いたくなります。
1/100の雨量(1日〜2日)からピーク流量を求めるプロセスは、国交省の河川砂防技術基準に定められており、精度(信頼性)の点で問題はあるものの、しっかりした統計学的根拠のあるものです。問題は、ほとんどの水系における基本高水がこの基準をねじ曲げた作為的なものであることです。この基準に忠実に従っておれば、べらぼうに高い値にはならないと言うことで、河川工学の大熊先生(新潟大)も常々そうおっしゃられています。その統計学的手法を解説するのに、私はいつも以下のような問題に置き換えます。
1/500の体重が解っているとして、50人の母集団の身長、体重から1/500の身長を推定するとします。手順は以下のようになります。
(1) 各人の体重をそれぞれ1/500の体重になるよう引き延ばす(引き延ばし率を掛ける)。
(2) その倍率がある制限値(例えば1.2)を超えるものを切り捨てる(10〜20人程度に絞られる)。
(3) 残った人達の身長にそれぞれの引き延ばし率を掛ける。
(4) 1/500の身長の推定値は、3で得られた身長を高い順に並べた中程の値(カバー率50%)となる。
ここで、体重が雨量、身長が流量、体型が降雨パターンに相当することはお分かりでしょう。同じ体重になるような引き延ばし率を身長にのみ掛けると、小さい人ほど長身になり、総じて細身になります(降雨パターンで言うと時間軸はそのままで雨量軸だけを引き延ばしている)。そこで引き延ばし率の上限を設けているわけです(河川砂防技術基準では「2程度以内」)。さらに4のカバー率50%を採るのは、標準的な体型を採用すると言うことです(河川砂防技術基準では安全度をみて60〜80%を採ることになっている)。つまり、非現実的な値にならないための2つの歯止めが設けられているわけだが、現実の治水計画ではこれがことごとく破られているわけです。ダム推進派の学者の論理では、母集団(年最大降雨を採るので時間雨量のデータが残っている戦後の年数分)が小さく信頼性に乏しいので4で最大の流量(カバー率100%)をとるべし、となるが、それではこの方法自体を否定していることになり、自己矛盾である。さらに、引き延ばし率の上限を2.5近くまで引き上げており、カバー率100%との相乗効果で、1/100のはずが1/200〜1/500に跳ね上がってしまう。

武庫川流域委員会でどのような議論がなされているのか知りませんが、「引き延ばし率」と「カバー率」という2大キーワード抜きの議論であるなら、何時間かけても稔りのない議論になるでしょう。3年前、紀ノ川流域委員会での私の傍聴質問にダム推進派の中川委員長もついに過去の治水計画の誤りを認める発言をしましたが、近畿地整の調査官は反論できないまま誤りを認めず(それが役人の使命?)でした。結局、利水の半減を理由に突然のダム中止の発表に至った次第で、流域委員会では利水には至らず、治水の議論が延々と続いていました。そして中止後、突如出てきたのが既往最大(紀ノ川では伊勢湾台風)を用いる流域委員会モデルです。ただし、これはあくまで今後20〜30年の河川整備計画(中期計画)であり、河川整備基本方針の基本高水(長期計画、紀ノ川では1/150)ではありません。河川法では河川整備基本方針(基本高水)に沿って河川整備計画(現実的な中期計画)を立案することになっていますが、整備局は基本高水を封印してしまおうとしているのです。それは自らの否を認められないからにほかなりません。
(武庫川での)伊勢湾台風の話ですが、大阪湾では高潮も大したことなかったのではないでしょうか? 高潮被害は何と言っても第二室戸です。ただし、10番目だからはずして良い訳ではありません。統計処理の母集団は大きければ大きいほどよく、技術基準に従うなら、降雨量の大きい順に引き延ばし率≦2の範囲で切ることになります。このとき、残った降雨が10個以上あるなら、その中には必ず伊勢湾台風が含まれていなければならないことになります。つまり、意図的にこれをとばしてはならないということです。紀ノ川でも同様のことがありました。6番目の第二室戸がとんでいたのです。その理由を問いただすと「年最大でないから」とのことでしたが、これは明らかに誤りです。年最大を採るのは、1/100(紀ノ川では1/150)の雨量を決めるときのやり方で、降雨パターンの選定にこれを適用する統計学的意味は全くありません。これも地整は「間違いでした」とは言わなかったが、流域委員会モデルではちゃんと第二室戸が入っており、事実上間違いを認めたと言えるでしょう。
もう一点、先に述べた母集団の大きさの問題ですが、基本高水が計算されたのは、大抵昭和50年前後であり、洪水の時間雨量データは二十数年分(年最大は二十数個)しかありません。このうち引き延ばし率≦2となると10個にも満たない場合が多い。紀ノ川では5個でして、引き延ばし率2.32まで拡大してやっと7個でした。そして、引き延ばし後の流量は、案の定二日雨量最小の洪水(引き延ばし率2.32)が最大になりました。私が言いたいのは、基本高水の議論をするなら、まず、最新の降雨まで含めて(技術基準に忠実に)再計算せよ、ということです。そうすれば、引き延ばし率≦2以上の洪水が十数個はとれるはずです。河川砂防技術基準で示されている手法の統計学的な考え方は、間違ってはいないけれど、30年前のデータ数では統計処理すること自体に無理があるということです。紀ノ川流域委員会では再計算を強く求め続けました。
長くなりましたが、参考になれば幸いです。ご不明な点は、またおたずね下さい。

投稿3 蔵治光一郎 2005/9/3(土) 午後 9:23  

高津先生のコメントを読む限り、私の投稿が説明不足で誤解を招いている点が多々あり、反省しています。武庫川流域委員会でどのような議論がなされているかについては、ホームページを見ればわかりますし、1回傍聴しただけの私よりも、誤解を正してくれる適任者がいらっしゃると信じて、私は当初の投稿について補足説明をさせていただきたいと思います。
まず、計画規模1/100年の定義は、1/100年の確率で発生する規模の洪水(流量)のことではなく、1/100年の確率で発生する降雨の際に発生するであろう洪水のことです。
ここですでに誤解が生じます。1/100年の確率で発生する洪水(流量)を防ぐために計画を作るのだと一般市民(非専門家)は認識しがちです。そのような誤解をした人は、ある流量が示されたとき、その流量が流れる確率が1/100年のはずだと思い込んでしまいます。しかし実は、定義はそうなっていないのです。
なお、データ不足などの問題で、1/100年の確率で発生する流量を直接計算することは現状ではできないとされていますが、将来データが蓄積されてくれば、恐らく可能になるでしょう。
次に、1/100年の確率で発生する降雨には、さまざまな波形が考えられ、それに応じて流量が変わります(これは水文学的には当たり前のことです)。そのため、100年に一度の雨に対する備えをどうするか、という問題は、いくつもの流量に対して備えなくてはいけないという問題になります。安全側に立とうとする学者や行政は、最悪の事態を想定して、気象学上あり得ない波形を採用するのは許さないとしても、計算される流量の最大値を取ろうとします。
1/100年の雨で、かつ、流量が最大になるような波形の雨が降る確率は、1/100年よりも低いことは明らかですが、だからといってその流量が起きる確率が1/100年より低いとは必ずしもいえません。なぜなら、1/120年、1/140年といった降雨で同様な計算をすれば、1/100年では最大値であったその流量は、今度は最大値よりも低くなり、その分、高い確率で起きますので、最終的にその流量が起こる確率は、1/100年よりも起きる確率が小さいようなすべての確率の雨を想定して同様な計算をし、それらの合計で求められるからです。
降雨の引き延ばし率を2倍までにするか2.5倍までにするかという議論は、本来まったくナンセンスであって、ちょっとでも引き延ばした瞬間に、すでに自然現象として起こりえない波形を作り出している可能性が生じます。本当は、引き延ばしはいっさい認めるべきではないのですが、仮想的な降雨波形を作り出す方法として認めざるを得ない、と割り切って次に進みます。なお、引き延ばし率による棄却基準と次に述べる短時間降雨量による棄却基準は、結局どちらを厳しくするかというだけの問題で、両方とも甘くすれば全体として甘くなり、どちらかが厳しければ全体として厳しくなります。
では、どのような波形を「あり得ない波形」として棄却すべきか。一つの考え方は、1時間、3時間、6時間、9時間、12時間など、1日より短い時間スケールでの生起確率を求め、引き延ばされた降雨でこういった短時間降雨量を計算し、それが異常に大きいものを棄却するという考え方です。しかし、ここで問題なのは、棄却基準とする確率を1/100年にすべきか、それともそれより少し大きくするか、という問題です。1/100年にすると、かなりの降雨波形が棄却されてしまい、母集団が少なくなるのではと予想されます。武庫川では1/400年とか1/500年といった値を考えていました。つまり、日雨量としては1/100年だけど、短い時間では1/400年の確率でしか起きないような波形も入れて考えましょう、ということです。このように甘くすることは、基本高水を高めに誘導しようとする操作であるとみなされ、批判の対象となります。
結局、降雨の引き延ばしを行った瞬間に、引き延ばした後の降雨のうち非現実的なものを棄却する必要があり、そのための基準が必要になります。残った波形のうち、最大の流量が計算されるものを取るとなると、棄却基準の甘さがすべてを決めることになります。これは統計学とはほど遠い、極めて恣意的なやり方だと思われます。
以上が補足説明ですが、皆様の理解が深まれば幸いです。
最後に、伊勢湾台風についても著しい誤解があるようです。私が申し上げたいのは、武庫川ではデータを機械的に処理した結果、伊勢湾台風のデータが棄却されたのですが、それに対して「戦後最大の台風が落ちたのはおかしい、入れるべきだ」という意見があったので、それに対して反論したものです。伊勢湾台風の風台風としての特徴からして、降雨データのみの機械的処理を行えば、落ちる可能性は十分に考えられ、それでまったく構わないので、有名な台風だからといって、ルールをねじ曲げてまで入れる必要はまったくない、ということです。
投稿4 蔵治光一郎 2005/9/3(土) 午後 9:23

大阪自然環境保全協会理事(大阪市立大名誉教授、工博)の高田直俊先生よりMLにコメントが投稿されましたので、了解を得て以下に掲載させていただきます。

 基本高水の算出法として,武庫川では、総雨量を一定に、引き延ばし倍率に制限を設けないが,時間降雨と3時間降雨量などに上限を設けた降雨波形を用いる方法も使われています。本来あらゆる降雨波形に対して流出量の関係を求める必要があります。その場合に実降雨を使うのは,手近な参考にしているだけです。あらゆる降雨波形(例えばサイン波形で与えるとか)に、例えば,1時間,3時間,6時間,12時間,18時間降雨,などの最大降雨量の制限を設け,短時間集中豪雨にしないことです。順番に並べたカバー率50%が確率論的に最も起こりえる流量ですが,これを基本高水にするのは怖いので,河川砂防基準のようにカバー率60から80%程度にするので順当です。武庫川では,1日降雨といいながら,前期降雨まで流出計算に加えています(さすがに引き延ばし倍率は掛けていませんが。長野県はこれにまで引き延ばし倍率を掛けていました)。これはルール違反です。

 従来の基本高水を起こす降雨は,私の経験の範囲、高津さんの指摘の通り,継続時間の短い雨です。そのような場合は,計画降雨に12時間降雨を用いるべきです。武庫川のような中規模の河川では5-6時間降雨が洪水流に直接影響することは,みんな知っていることです。しかし,これ以上の雨が降らない保証はないので,後は超過洪水対策で,壊滅的被害が生じないように破堤しない堤防への強化を進めるべきです。昨年,県設置の堤防強化委員会が方針を出していますが,この答申と基本高水の関係を委員会でどう扱われていますか? 淀川水系での堤防強化は1メートル当たり50万から100万円程度(キロメートル当たり5億から10億円)です。堤防区間は河口から9キロメートルと短く,ダムに比べて大きな金額ではありません。

 淀川流域で、国交省は,洗掘と浸透破壊に対する技術的対応は出来るが,越流に対しては技術的に未解決としています。土の堤防に対して表面流が土をはぎ取ってしまうと考えているからでしょう。しかし,下流部の高潮区間のコンクリート張り堤防は越流への対策ですし,寝屋川のように全川が厚さ数10センチのコンクリート壁の川もあります。これが景観上あんまりだということですから,コンクリートに土をたっぷり被せればいい訳です。新潟の五十嵐川や苅矢田川では越流箇所がいくつもありました。天端高がちゃんと確保されておれば,越流は広く分散するので,流速は小さく洗掘はおきません。天端が2車線舗装道路の武庫川では数時間の越流には耐えるはずです。これが破堤しない堤防ですし,超過洪水対策のひとつです。

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