動物 ─ ブナ科堅果の不定常結実(マスティング)─ 動物
石田 健(東大・院・農生命)
 
1. 講演の種子と趣旨
 植物,特に寿命の長い樹木の結実量が,不定期の比較的長い間隔をおいて大きく変動する形質(マスティング)が進化してきたことは,森林に生息する哺乳類や鳥類の生態とも関連して興味深い。演者は,ツキノワグマが資源の変動によく適応しており,人間の観察者にとっては厳しい環境条件とも見える,重要な食物資源であるブナ科堅果量の不定期な年変動は,ツキノワグマが繁殖する上での困難となっていないことからマスティングにさらに興味をひかれた。
 マスティングの進化を説明する仮説の1つとして,種子捕食者飽和仮説が注目されている(4,6)。ツキノワグマは,大きな動物でも生息密度が低く,種子捕食者としてブナ科堅果の結実形質を規定しているとは考えにくい。病原体や昆虫・ノネズミ類などの種子・実生捕食者が樹木の結実形質を規定し,その樹木の形質がツキノワグマの形質を強く規定している。一方,動物による種子散布仮説や花粉媒介仮説も,動植物の相互作用を重視する。ツキノワグマは,種子散布でブナ科樹木の結実形質に影響を与えている可能性がある。
 このような森林生態系における動植物の相互作用の本質を理解し,マスティングに限らず動植物の相互作用を通して森林動態を把握する視点を明示することは,野生動物個体群の管理方法や,生物多様性保全に適した森林の管理方法と生産方法について,社会的な合意形成を行う上でももっとも必要とされている。本講演では,マスティングの捕食者飽和仮説を柱に,そのような視点を簡潔に提示したい。

2. 議論の方法
 埼玉県秩父山地における9年間のツキノワグマ個体群の調査と,約15年間のブナとイヌブナの結実および8年間のミズナラの結実等の調査の結果,および文献をもとに,ブナ科のマスティングの進化の捕食者飽和仮説の可能性と,検証方法について考察する。
 ツキノワグマの生態を視点の中心にして,秩父山地のマスティングにおける動植物間相互作用の関係性を,各論として示すことを試みる。ブナ・イヌブナ・ミズナラのマスティングが,ツキノワグマの生活史を特徴づける重要な環境要素になっている(3)。これが,木からクマへの一方的な関係ではない可能性を検討することにより,前述の試みを敷衍する。そして,動物生態の研究から予測できる,仮説検証可能性の高そうなマスティング研究の方向性を論じる。

3. 議論の起点とする調査結果
 ツキノワグマの体重は,季節や年ごとに異なり,夏季の捕獲期間内だけにも大きく変化した。
 1頭のオスが,秩父山地においてすべての堅果等が凶作だった1992年の秋に,おそらく1〜2日以内に標高2000m近い尾根を超えて水平距離で9km以上離れたミズナラ林に移動したことが確認された (2)。
 ツキノワグマの繁殖は,ブナ科3種のマスティングの影響はうけているものの,個体ごとの繁殖状況の制約があり,必ずしも結実変動によく同調してはいないと推測された。また,ブナ科3種間で結実が同調する傾向は見いだされていない。
 イヌブナが豊作だった1995年の夏から秋にかけて,アカネズミのオス3頭,ヒメネズミのメス2頭,オス1頭が,ミズナラ等の二次林とブナ・イヌブナ林の傾斜40度近い斜面の250m以上離れた地点間を往復移動したのが確認された(4)。

4.議論の概要
 種子捕食者飽和仮説等の解釈は,複数の仮説どうしの説明原理が排他的でなく(4),すぐれて一般的に採用できる検証方法や研究手法も確立されていないように見える。長期間,大面積の森林で動植物を観察し続ける研究手法(長期生態系プロット研究)は,マスティングの基本資料を得るために有意義かもしれないが,100年を優に越して生きる樹木個体の形質を説明する原理は,新たな視点から探求する必要があるだろう。樹木個体群内の形質変異を,より重視する提案もある(1)。
 10年から15年ていどまでの期間繁殖する可能性があるツキノワグマは,その期間に1〜2回繁殖に成功すれば遺伝子を残すことができる。予測不可能でも4〜5年に1度豊作のある結実変動なら,その間を耐える形質を備えており一生の中では確実に対応できる。複数の樹種の結実が同調しなければ繁殖条件はさらに良いと言える。同様にブナなどの樹木は200年程度の間に何度かうまく繁殖できればよいのだろう。とすると,結果としての結実変動をいくら記録しても,進化の原因は見えてこないのではないか。豊凶周期や種子形質など遺伝し,個体間の競争が観測できる形質の違いを特定し,その形質状態が自然選択され遺伝子頻度が変化する過程を観察することが望まれる。

5. 結論(予定)
 マスティングの研究として,地域間,個体群間の比較研究の結果が重要性を増し,結実形質の遺伝率を明らかにするような実験的な研究や,個体群レベルでの結実形質と結びついた遺伝子(型)頻度の動態を種子捕食者の個体群動態との関連のもとに明らかにする研究が必要なのではないか。数理生物学的に解析的なモデルを検討することも,有効かもしれない。

 謝辞
前大会では,今回同様の演題の講演を取り消し,プログラムに穴を開けしまいご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。頓首敬白。

引用文献
(1)Herrata, C.M. (1998) Am. Nat.,152: 576-594.
(2)石田健・橋本幸彦ら(1994)日林論, 105: 557-558.
(3)石田健(1995)哺乳類科, 35:71-78.
(4)Kelly, D.(1994)Trends in Ecol. Evol., 9: 465-470.
(5)越田全彦(1996)東大・農・林学科卒論, 19pp.+XVIII.
(6)箕口秀夫(1995)個体群生態学会報,52:33-40.

Key Words: Masting, Predator Satiation, Plant-Animal Interaction, Asiatic Black Bear, Mouse, Fagacea

Masting of Fagacea Trees critically decide the lifehistory of the Japanese Black Bear at Chichibu mountainous area. Plant - animal interactions are the important factors in the evolution of both masting and animals' breeding strategies. Predator satiation and several other hypotheses explaining the origin of masting can be analyzed, and the examination of masting theories can be improved, by more observation of the interactions in the population level and also with genetic insights. The black bear can affect the beech trees' breeding strategy and maybe a factor in the natural selection of their masting phenotypes as a seed disperser.

 ブナ科堅果の不定常結実(マスティング)が,ツキノワグマの生活史を強く規定していることが,秩父山地おける研究によっても示された。マスティングの起源を説明する諸仮説の検証を試みる上で,ツキノワグマの生態を中心に,動植物間の相互作用の関係性を分析することが役立つだろうと考え,議論する。ツキノワグマはブナ・イヌブナ・ミズナラなどの堅果を食べることによって直接はマスティングを促進しないと思われるが,一部の樹種の種子散布を介して,種子補食者飽和仮説の主張する動植物間相互作用にも関与している可能性がある。個体レベルでの比較や,結実形質の遺伝率を明らかにするような実験,遺伝子型頻度の動態を種子捕食者の個体群動態との関連のもとに明らかにする研究が,今後重要性を増すのではないか。