『生物科学』 誌 に掲載された書評

『文明崩壊 滅亡と存続の運命を分けるもの』
ジャレド・ダイアモンド著、楡井浩一訳、草思社、2005年12月、437+433頁、上・下分冊,本体価格各2,000円

 本書は、西欧文明が優越してきた現代までの1万3000年の人類史の『究極要因』を説こうとした「銃・病原菌・鉄」(以下、「前著』と記す)の、続編の比較文明論である。前著のエピローグの最後(翻訳書の326頁)に言及した、「大自然の実験の結果を調べ、原因因子と推定される要因を持っているものと、持っていないものを比較検討すること」という課題に対する、著者自身による答えの書である。本書のプロローグで、前著は人類の発展速度についての比較文明論であり、本書は文明崩壊の原因をさぐる比較文明論だと、著者は述べている。
 著者は、文明崩壊を招く5つの要因として、環境破壊、気候変動、近隣社会からの援助、その敵対的干渉、および社会がもつ問題対処能力を上げる。最初の4つのうちの1つでも不利に作用した場合に、そのことに対処する能力がなかった文明が崩壊し、そうではなかった文明が生き残っているという構図で解説がなされている。
 最初の実例として、モンタナ州の現代社会が、森林伐採とそれによる林相変化にともなう山火事の深刻化、大規模農業によってもたらされる土壌の塩害、蔓延する外来種、地球温暖化にともなう水不足、広がる貧富の格差など、予断を許さない問題を抱えていると詳述されている。人類文明全体を俯瞰しようとする本書は極めて個人的な話から始まる。個人のふるまいが社会全体のふるまいへと創発され文明の崩壊と成功に結びつくという説明は、エピローグに続く伏線でもある。
 環境破壊によって崩壊したイースター島文明、近隣社会からの援助が途絶えて崩壊した太平洋のピトケアン島とヘンダーソン島の文明、環境破壊と気候変動の影響で崩壊した北米のアナサジ族の文明、環境破壊と気候変動に加え近隣社会からの敵対的干渉もうけて崩壊したマヤ文明が、やや簡潔な文章で紹介されている。イースター文明の崩壊は、比較的単純でわかりやすい周知の例である。ほかの崩壊の原因は、だんだんと複雑さを増す。私たちが歴史をひもとくとき、なぜそうなったかを問うし、もしもそうならなかったらどうなっていただろうともよく問う。しかし、崩壊してしまったこれらの文明の史実を読むと、いちばん単純にみえるイースター島の場合でさえ、崩壊は歴史上の必然だったように評者には思えるし、それが人間というものなのかと一種の諦念さえ感じる。これが本書が指し示す1セットめの、過去の崩壊をめぐる文明比較である。
 次に、北大西洋におけるヴァイキングの遠征と移住の歴史、ノルウェー領グリーンランドでのノルウェー人の失敗とイヌイットの成功、アイスランドの成功が、膨大な交易史が文献資料を参照して3章にわたって詳述されている。失敗と成功が同居する例は、魚を食べるか牧牛に固執するかというような一見些細な食習慣や生活習慣の違いが、気候変動が生じたときに持ちこたえられたりられなかったりする原因となるという指摘である。同じ寒冷地のアイスランドが、現代ではもっとも「生活水準」の高い国として繁栄している理由も説明される。脆弱な環境において人間の侵入後にほとんどの森林を失う環境破壊を経験しながら、失敗に学びそこにある資源を持続的に有効利用する対処法と、軍隊を持たずに近隣社会との友好関係を維持することを実現した対処法が、どれほどの利益をもたらすかの好例となっている。電力供給の80%を水力、20%を地熱から得ているアイスランドは、国民一人当りのGDPを世界で5〜6番目で維持している。
 北大西洋の歴史に続いて、太平洋のさまざまな大きさの島の文明を比較し、ティコピア島や分断化されたニューギニア高地の小規模社会では個人が比較的平等な立場で、大きなトンガや(江戸時代の)日本は権力者による規制が実効を発揮して持続的に環境利用してきたことが、簡潔に紹介されている。これらの社会の自然環境は異なっており、それぞれに応じた対処をできたことが重要であったと説明されている。鎖国されてほぼ自給自足の閉鎖系だった江戸時代の日本における人口増加と環境や生活水準の維持の両立は、特殊な成功例であった。対処さえできればなんとかなるという成功例は希望を抱かせる。これが、2セットめの、過去の崩壊と成功をめぐる文明比較である。
 次に、人口増加が環境収容力を上回ったときに、フツ族とツチ族のいたルワンダで起こった100万人の大量虐殺が、一般に流布し映画に描写された民族対立とは別次元の派閥対立の結果であったこと、同様に著しい人口増加や経済発展をかかえる中国の抱える公害や自然災害といった諸問題、同じ島で隣接する貧しいドミニカ共和国とさらに貧しいハイチのそれぞれの社会問題と両国の干渉、など現代の文明崩壊の予兆を示す国々の例が紹介される。オーストラリアは、環境の脆弱性と進行してしまって取り返しのつかない環境破壊や外来種の影響など数々の問題を抱えている。しかし、環境問題を真剣にとらえる風潮も広がっていて、希望ももてるという。また、グローバル化の進んだ現代では、一地域の崩壊の影響が世界のどの地域にも及び得る点を指摘する。
 続く最期の3章は、社会全体、大企業そして個人について、文明を崩壊させないためにどのような態度がとれるのか、とったほうがよいのか、あるいはとるべきなのか、についての問いかけである。社会全体が、不合理な決断をしたり、崩壊をふせぐために必要な決断を先送りにしてしまう理由はなんなのか、守るべき価値観と変えるべき価値観を選別しなければならないこと、学べる先例があればそれを見つけ、過去の失敗や成功に学び、深く考察することによって、困難にぶつかっている現代社会は過ちを正し、将来の成功をより確実なものにできるかもしれない(原文、"may be able to mend our ways and increase our chances for future success.")とジャレド・ダイアモンドは説く。この、希望を持とう、と読者を励ます著者の言葉の雰囲気は、できれば原文にも目を通して直接に感じ取っていただきたい部分である。
 住民や社会との駆け引きを通じて、企業が利益と公益を両立させようとし、環境保全によい結果をもたらしている実例をあげ、最後の16章において「一個人として、自分には何ができうるのか?」と胸に問うすべての読者のために、「でも」と必要な行動を保留する悪しき陋習を禁めている。邦訳にも収録されている各章の文献紹介と補足説明の、最後の章は別冊になる内容である。
 日本が、崩壊をまぬがれた文明の実例として紹介されていることは、本書を少し身近に感じられる理由でもある。日本は、温暖で降水量が多く森林の成長に適していることや、火山があり、水資源や海洋資源にも恵まれているなど、自然環境の面では有利な条件を多く備えている。また、リサイクルをふんだんにとりいれた江戸時代の社会のしくみを見直す書籍は、国内でも少なからずみかける。今後予測される人口の急激な自然減は、鎖国当時の人口に近づくことであり、変化過程で上手に対処できれば、資源の浪費を抑え、環境を保全しながら持続的に自然資源を利用していく上で有利な立場を手に入れる基礎ともなりえるのかもしれない。ただし、過去や現代の成功例に学べることは多いとはいえ、その1つであるアイルランドでさえ、今後のことを考えれば、金融資産に依存する経済が世界経済の変調から受ける影響や、高緯度にもかかわらず比較的温暖な気候を維持させている暖いメキシコ湾流が、地球温暖化によって海面にすべり出すかもしれないグリーンランドの巨大氷床によって遮られたときにどうなるのか、これも予断を許さないのかもしれない。
 著者のJ・ダイアモンドが、私が学生時代に読んだロバート・マッカーサー追悼論文集(1975)の共編者その人であることは、前著を手にとったときに腑に落ちた。彼はニューギニアの島々に生息する鳥類群集の起源と成立のしくみについて研究し論じた進化生物学の比較研究の方法を、30年暖めて全世界の人類にも敷衍し、現代文明の存在理由を説明しようとしたのだった。
 原著出版から間髪を入れず邦訳のでた書物について、2年も経ってから評する意義があるかという疑問もあるかもしれない。しかし、前著と本書の両方ともに賞味期限は長い。改めて書評する価値があると思い、ここで前著と合わせて本書も一読されることを強くお勧めする。
(石田 健,東京大学)